オハイオ通信バックナンバー

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オハイオ通信について 2008/9/16

これは、私と娘たちがオハイオで暮らしていた時期に、静岡県に住む友人の知人に「アメリカでの暮らしについて書いて欲しい」と頼まれて、その人の運営するホームページに掲載していたもの。

そう言う趣旨だったので、対象が不特定ゆえ、自分が書きたい内容よりも、こんなことが望まれているのかな・・・と想像しながら書いていた。

読み返してみると、無駄の多い文章だし、たいして面白くはない。けれど、家族の記録としては、とても貴重なものとなった。

911の直後のところを読むと、当時のショックや興奮も思い出された。ブッシュをほめたのは、我ながら最大の汚点。ショック状態と言うのは、冷静さを欠くのだと言うことも今なら良くわかる。

でも当時の自分の意見は、やはり今でも変わらない。アメリカのアフガン攻撃そのものは、必要悪だったと思っている。ただ、その後の戦略や対応が間違っていた。

当時反対者だった人たちが、単なる「何が何でも平和主義」ではなく、アメリカのその後の戦略や対応を見越して反対していたのなら、先見の明のある賢者だと思う。残念ながら、当時の私にはブッシュの愚かさ加減がわからないでいたのだ。

オハイオに引越した当初はまだ時々教会にも顔を出していたことも思い出した。ひょっとして私のキリスト教離れの直接原因はブッシュだったのかもしれない、とすら思う。

オハイオ時代の友人には懐かしい話もあると思う。暇つぶしに読み拾ってみてください。

その1  2001/01/28

静岡出身でも、県民でもなく、3日以上連続で静岡に滞在したことのない静岡に縁もゆかりもない私が、何でこんなところにコーナーを持ったのか、いさささ不思議だけど、これも何かの縁。楽しんでいただけたら幸いです。

今時、海外に住んでいる日本人は、石を投げればあたるくらいワンサカいるわけだから、何もわざわざ私がレポートすることもなかろうと、初めてこの話が持ちあがったときに声をかけてくれた幼馴染に言ったんだけど、(ちなみに彼女はれっきとした税金を納めている静岡県民)、「そうはいっても、海外で暮らしたことのない人の方が、やっぱりずっと多いんだよ」と言われて、「それはそうだ。では、皆さんの好奇心を満たすお手伝いをしよう」と思った次第です。

ま、このコーナーが人気を博せば、そのうち独立したホームページでも持って、末はオプラかヒラリーか。 ヒラリー・クリントンは皆さんもご存知でしょうが、オプラ・ウィンフリ-は日本でどのくらい知られてるのでしょう? もともとはミシシッピの田舎の出身。それがローカルのラジオ番組から徐々に上り詰め、今や自分で番組を持つテレビのパーソナリティーです。テレビに留まらず、去年は自分の名前をタイトルにした雑誌は出すし、オプラが選んだ本(オプラのブッククラブというマークが本の表紙に印刷されている)は売れるし(私も中の何冊かを読んだ事あるけど、やっぱり外れがない)、私生活の方でも(肥えたり、ダイエットで痩せたりを繰り返しながら)ボーイフレンドと仲良しのようで、順風満帆ってとこかしらん。 彼女の人気は主婦の心をばっちしつかんだ所にあるんだけど、私もその路線で頑張って見ようかな。

私のことは徐々に明かして行くとして、今日は事始に、今いる場所について少しご説明します。ここはいわゆるアメリカのミッドウエストと呼ばれる地域。ミッドウエストを訳せば中西部なわけなんだけど、アメリカの地理から見ても、西はおろか、中央どころか、時間帯で言えば私のいる所は一番東の「イースタン」に属してるのに、何故ミッドウエストなのか??

ところで、ご参考までに、アメリカの時間帯は4つの地位に分かれています。東から、イースタン、セントラル、マウンテン、パシフィック。 代表的な州を揚げようかと思ったけど、それで解るわけでもないから、地図でも見てください。ちなみにここにアメリカの時間帯地図をリンクしておきます。  
            http://www.worldtimezone.com/time-usa2.htm

上記のサイトで右の青で描かれているところがイースタンに含まれる地域。 つまり4つの地域の中で、最初に夜が開けて日が沈むところです。一つの国の中で4つも時間帯があると複雑。例えば21世紀の幕開けは、実は我が家はシカゴで迎えたのですが、ここはセントラルに属するため、イースタンよりかは1時間遅い。で、「ああ、20世紀もあと1時間になったなあ」と、なんだか感慨にひたろうとしたその時、テレビで、イースタン地域が21世紀を迎えてお祝いムードになっているのを見て、「なんだ、家に居たら、もう21世紀になってるんやん」と思った途端、高まった気持ちが萎えてしまった私。

なんだか随分脱線してしまったけど、中西部の種明かしの話でした。これは開拓時代の呼称の名残。ヨーロッパからの移民が最初に住みついたのは東海岸。そして徐々に西へ、西へと開拓が進んで行ったのですが、当初、彼らにとっては今のミッドウエストは開拓最先端だった「西」に対して、十分ミッドウエストと呼ぶに足りたという訳。

それほど講釈たれるほどの内容でもありませんでしたが、次回はもう少し私と家族を紹介した内容に仕立てたいと思ってます。 

その2   2001/01/31

今回は予告通り私と家族についてのお話を少し。

98年7月末、カリフォルニアの大学院で通訳・翻訳の勉強をするため、夫をひとり日本に残し、当時6歳と8歳の娘2人を伴ってに渡米。「今更その歳で学んでも…」という意見もありました。「それだけのお金とエネルギーを注ぐ意義があるか」と自分でも随分迷いましたが、その時考えたのが、コレ。
「やらずに後悔するか、やって後悔するか」 
そうするとやっぱり、やって後悔したほうが、やらずに悔いるよりいいなあと。歳も歳だから、これ逃すと次はないとも思ったし。

「よくご主人がうんって言ってくれたねえ」としょっちゅう言われます。 この点は、本当に理解ある夫で、彼を納得させるのは実際、それほど難しくはなかったのです。 
「子供のことは、心配じゃなかったの」とも質問されるけれど、この点に関しても、うちの場合はとてもやり易い環境にありました。丁度その前年、3年半におよんだ中東での海外駐在(夫の仕事)から戻ったばかり。子供達はアメリカンスクールに通っていたから、英語にはあまり問題がなかった。 そもそも夫の出張が多いことから、離れていることにはお互いかなり免疫がある。 
そこで一番ネックになったのが金銭的な問題。大学院の学費がかなり高額だったから。そこで、申し込んだ奨学金が得られたら、そして2年後には必ず帰国するという条件付きで夫の承諾を得たわけです。

去年5月、無事コースを終了し、本来なら即刻帰国のはずだった。だけど、私の目指す通訳という稼業は、特に日本では「学歴」より「経験」。 実際、場数を踏まずに上達は有り得ないということは、この2年間を通して私にもよくよくわかった。 要は、「習うより慣れろ」の世界で、学校を出ただけで簡単に仕事が見つからないことは、先輩の卒業生などからも聞いていた。 

アメリカにはわが校の日本語コース卒業者を毎年数人採用している日系企業があった。私は何よりも履歴書に「経験」の2文字を刻みたかった。そこで、またしても夫を拝み倒して、「あと1年だけ」と言う約束をとりつけたのです。運よく採用となり、今日に至っております。
 
「どうやらアメリカに住みつくつもりらしい」
「とうとう、離婚…?」
なんていう噂も出たりしているようですが、今年の8月の雇用契約満了をもって、ちゃんと日本に戻ります。

というわけで去年8月にオハイオ州に越してきました。
(その1)の話に戻るけど、ようく調べて見ると、中西部でイースタンの時間帯に属す州は、唯一オハイオだけだとうことが判明。お隣のインディアナも中西部の州で今はイースタン時間だけど、ここは特殊で夏はセントラルの時間帯となる。つまり、いわゆる「夏時間」を使用していないの。(注:2006年からインディアナも夏時間の使用を開始。)

アメリカには「夏時間」を使用していない、言いかえれば1年を通して時間が変わることのない州は他にもう一つ、アリゾナ州がある。(ここは私が高校時代に1年間留学していた「第2の故郷」です。) 双方ともあえて時間を変更して「日の光を惜しむ必要がない」って訳。アリゾナは灼熱だから簡単に想像がつくでしょう。インディアナの場合はイースタンでいけば西の端。夏時間で1時間早めると、朝の暗い時間が長くなり、夜はなかなか日が沈まない理由から。

さて、このコーナーでは、私達の生活を通して、皆さんが興味を持ちそうなことをお話していこうと思っています。質問も歓迎致します。全ての質問には答えられないでしょうが、私が皆さんの質問の中から、答えられる範囲で、面白そうな内容をピックアップしてカバーして行こうと思っています。

歯医者  2001/02/04

ワーキングマザーの頭痛の種と言えば子供の病気に医者通い。
幸い我が家にはアレルギーなど慢性疾患の持ち主はいないから、お医者さんのお世話になるのはもっぱら突発性の病気と歯。

上の娘が風邪で火曜から発熱。なかなか熱が下がらず結局丸々1週間学校を休んだ(月曜は寒さのせいで学校が休み…この話はまた)。

有給休暇がなく、会社をお休み=減俸、となるわが身としてはかなり手痛い。そこで無理やり翻訳の仕事を在宅ですることを許可してもらって今週は乗り切った。

まあ、病気のときは致し方ないとしても、歯医者ごときで会社を休むとか早引きするなんてとんでもない。

と、ところが…。

二人の娘の詰め物が取れて久しい11月。これまで取れたものをアロンアルファで何度も貼り直して、ダマシダマシ来ていたけれど、ようやく保険にも加入したことだし、晴れて歯医者へ! 
予約の電話を入れた。 

この町(村?)中の歯医者に電話したけれども、どこもかしこも開業時間は5時まで。(事情は歯医者に限らない。) 私の仕事が終わるのが4時(工場だから終業が早い)。どんなに急いでも4時半がいいところ。

ぐっと譲歩して4時以降の条件で聞いたけれど、どことも遅い時間は一杯で、一番早い予約で、1月12日。 
えー、そんなあ。1ヶ月以上も先?! 
じゃあ、働く人や学生はいつ歯医者に行くんだよ? (日本のお医者さんってもっと遅くまでやってるよね? アメリカの医者、もっと働け!)

娘に聞いたら、お友達は歯医者などで簡単に学校を早引き、遅刻するそう。親が学校に迎えに来ると、入り口の事務所から担任に連絡が行き、
「セラ、荷物を持ってオフィスに行きなさい。お母さんが来てますよー。」
「ダニ-、お父さんよ。オフィスに行ってね。」
てな具合に、いとも簡単に帰っていくんだそう。

もちろん会社員とて事情は同じ。よくよく観察していると、
「明日は歯医者なんで、出社は午後になります。」
「今日は眼科の予約があるんで、これで…」
なんて会話がちょくちょく聞かれる。

で、有給のない私は、その日は30分早く出社することで、30分早く帰してもらった。

これで終われば敢えて書くほどのことはないんだけど(どうも私の話は長い)。

だって、こんなに苦労して行った歯医者なのに、その日は初回のクリーニングと、どこが悪いか見るだけ(予約の時点で分かってたことながら…)。

歯医者いはく、
「2人とも乳歯が残っていて、抜かなくちゃならない。これは歯並びにも影響するから「矯正歯科」の分野です。虫歯も乳歯だし、まずそちらにかかって意見を仰いでから、その後どんな治療をするか考えましょう。」

そうなんです。アメリカの歯医者は専門分野別に細かく分かれているのです。
虫歯の治療をする歯科医。矯正専門。神経専門。歯周病専門…などなど。

で、まずは普通(虫歯)の歯科にかかり、歯周病なら、そっちにまわされ、歯を抜くときは神経の方へ、歯並びが原因となると矯正歯科となる。きっと大都会なら「総合歯科」で別々の担当医を一つの屋根の下に抱えているんだろうけれど、いかんせん、ここは「村」だから。

日本でも最近は、小児歯科とか美容歯科だとかあるけど、ここまでは細分化されてないでしょう。

歯医者さんのアドバイスに従い、素直に矯正歯科に予約を入れた。
「4時以降で一番早い予約は…えーっと、2月6日4時10分です。」 
ついでに普通の歯医者で、私の初回クリーニングの予約も入れてみた。
「3月19日の4時半が空いてますねえ。」

全ての治療が終わらぬ前に帰国、と相成りそう。

テーブルマナー 2001/02/06

テーブルマナーが語れるほど我が家は躾が良くない。
いや、そういうレベル以下で、お茶碗を持ち上げずにごはんを食べたり、肘を付いたりは序の口、食卓で歌うわ、挙句の果てに下の娘は、「うん○」とかおもむろにのたまって席を外れるわ。

ヨーロッパとアメリカのテーブルマナーの大きな違いはナイフとフォークの持ち方にある。(私の言う「アメリカ」というのは一般的なアメリカで、ハイソな上流社会やニューヨークやロサンゼルスのヨーロッパ風にソフィスティケートされた人々は除きますので、あしからず。)

ヨーロッパ式は、一般的に知られるナイフとフォークの使い方。右利きの人は右手にフォーク、左手にナイフ。 日本でよくやるように、ご飯をフォークの背に乗せることはないにしても(フォークの腹に乗せます)、デザート以外はフォークとナイフはセットで手にしているもの。

アメリカ式は、切る時にだけナイフを右手、フォークを左手に持ち、切り終わるとナイフを置いて、フォークを右手に持ち替える。一口ずつ切るのが正しいマナーなので、食事中のこの持ち替えは頻繁に行われる。ただし、家庭の中や子供の場合は、最初に全部細かく切り分けてしまうことも多い。

イタリアでの正しいマナーのスパゲティーの頂き方は、左手にスプーンを持ち、パスタをすくったフォークの先をスプーンに当てて、くるくるっと巻き上げて行く。日本じゃもうお馴染の光景だけど、アメリカではなかなかお目にかかることはない。スパゲティーも短めに折って料理してあることが多い。

ついでにパスタの堅さの話をすれば、日本じゃ「アルデンテ」なんて言葉がすっかり浸透したけれど、一般的なアメリカのパスタは、まだ一昔前のママ-・スパゲティー並。(今じゃママ-でさえ、100%デュラムセモリナだもんね。)

さて、長女の誕生日に外食した時のこと。

オリーブガーデンというレッドロブスター系列のイタリアン・レストラン。
パスタはやっぱりアメリカ風にソフトだけど、この手のチェーン・レストランとしては他所よりは多少単価が高いし、それなりにイタリア風。

週末のその日は超満員の75分待ち。オハイオに引っ越してから、「オリーブガーデンに行きたいなあ」と3人でずっと思っていたところ、ここいらで一番大規模なモールでやっと見つけた1軒。 ここまで車を一時間飛ばしてやってきた田舎者としては、75分待ってでも食事がしたかった。
近くに本屋の「バーンズ&ノーブル」があったからそこで時間を潰すことに。

さて、薄暗いレストランの中に案内されると、そこは家族連れやカップルでにぎわっていた。

ふとあるふたり連れに目が止まる。 20代半ばってところ。
見つめあうふたりのテーブルに、彼らが注文したフェットチーネ(きしめん)が運ばれてきた。

男性はおもむろにナイフとフォークを握りしめると、そのクリームソースがかかったきしめんに向って、滅多切り攻撃をかけ始めた。

縦に横に斜めに、激しくナイフを動かしている。
むかえに座る彼女には別段驚いたそぶりもない。
ひとしきり切り終わると、ナイフを下ろし、右手にフォークを持ち替えて、ぐちゃぐちゃになった代物をせっせと口に運び始めた…。

これぞ究極のアメリカ式パスタの食べ方か。

学校と親 (1) 2001/02/14

サウジアラビアにいた時は暇を持て余していたので、定期的に学校にボランティアに通っていた。 だが、カリフォルニアの時は自分の学校、今は仕事で時間がないので、子供の学校のお手伝いをする機会がなくなってしまった。一度、子供の遠足に付き添ったくらいかなあ。

日本に帰れば、働いていようが、いなかろうが、容赦なく「お当番」で学校の係りが回ってくるらしい。娘達が日本の学校に通ったのは1年だけで、役員などもしたことがないから、わたしの認識が誤っていたら、正してください。

兼ねてから思っていたのは、日本の学校は親の使い方が下手だということ。そして都合よく使いすぎている(と書けば上手に使っているわけで、矛盾するようだが)。

日本の学校で親に「押し付けられる」さまざまな係りを思い出すと、どれも直接授業やクラス活動に関係するものではない。親は学校には出掛けて行くが、教室に足を踏み入れることなく、別室で何やら活動をするようだ。

一方、アメリカの学校でボランティアをする人は、まず、母親に限らない。父親の場合も多いし、おじいちゃん、おばあちゃん、近所の人なども含まれる。そしてその内容はどれも教室と直に結びついている。

例えば、授業で遅れている子供の勉強を見てやる(たいていの場合は廊下にある机に並んで腰掛けて、一緒に読んだり、算数の問題を解いたり)。 クラスの授業で使う小道具を作る(これは別室で母親が集まって作ったりすることも)。 遠足や課外授業の引率(運転手)。 イベント(パーティー、子供のためのお店、バザーなど)のお手伝い。 自分の特技を紹介する(本を読んでやる、自分の仕事や出身地を紹介)など。

(実はサウジアラビアから帰国したときに、先生から「サウジアラビアのお話をして下さい」と娘か私に声がかかるのを心待ちにしていたのだが、とうとうそういう機会はなかった。なんだか自分からも言い出しにくい雰囲気だった。)

もちろんPTAの役員だってちゃんといる。やりたい人はいるもので、積極的にいろいろな活動をしている。日本の押しつけからは出て来ない「意欲」がそこにはある - 子供がもらってくるPTAの手紙を見れば、その人達の活動に対する意欲が感じられるのだ。

ボランティアは、先生やクラスのことを良く知り、同時に我が子の学校での姿をしっかりと観察できるチャンスでもある。だからこそボランティアをしよういう気持ちが湧くのである。

勿論、先生にとっては、決して都合のいいことばかりではない。常に監視の目があるわけだから、手も抜けないし、めったなこともできない。 

是非、日本の保護者の活動も、保護者にもっと自主性を与え、授業と直接関わりのあることを先生方と協力してやっていけるようにしてほしい。そうすれば、もっと学校と関わりを持ちたいと思う人がでてくるはず。また、保護者の活動内容や時間にも、もっと柔軟性を持たせ、できる人ができる時にという形も導入すべきだ。

いまのお母さん達は、いはば上手く「雑用係」に使われているだけ。つまり学校側の使い方が下手なのだ。

貴重な人材を活かさない手はない。

学校と親 (2)  2001/02/15

今日は下の娘の個人懇談会。3年生になって2度目。自慢じゃないんすが、懇談会ではどちらの娘も鼻高々、ホント、嬉しいざんす(自慢してるやないか)。きっと日本の学校じゃこういう訳には行かなかったんでしょうが、アメリカでは今のところ自分の子にしては信じられないくらい上出来で、私が小学校の頃は底辺をうろちょろしてたのに、どうして。この子等はパパに似たのかなあ。

でも今日の話のポイントは親バカ談ではなく、この懇談会の時間帯。私の時間は7時からでした。もち、夜の7時。

懇談会は4時から7時半までの間で希望できたんだけど、私はいつも遅目の時間をお願いする。

アメリカの会社は朝早く始まり、夜も早く終わる所が多い。 私の会社でも、6時半から3時という時間帯を選んで働いている人がいる。 4時からという時間帯は、要するに働く保護者が懇談会に参加しやすい時間帯なのだ。カリフォルニアの時は、これに加えて朝の授業開始前にも懇談会をやっていた。

だから懇談会に両親揃って出席というのは普通。もちろんお母さんだけ、お父さんだけというのも同じくらい普通だし、おじいちゃん、あるいはおばあちゃんもしょっちゅう見かける。

懇談会に限らず、たいていのイベントは夜行われる。例えば、クリスマスコンサート、タレントショー、歌の発表会、劇などなど。ちなみに下の娘は3月に歌と劇の発表会があるが、7時から。上の娘が学校のバンドに入るときに、事前説明会があったがこれも7時からだった。 (もちろん子供たちは一旦帰ってから出直す。)

全てが全て、保護者が参加しやすいよう夜の時間帯が組まれている。

学校に限らず、託児所や職場など、ここでは「働きながらの子育て」があたりまえにできるような環境が整っている。 託児事情などは後日詳しく書くとして、私がこうして実質シングルマザーとしてやっていられるのも、アメリカならではこそ。日本じゃとうてい有り得なかった。(だからこそ、アメリカに来たんだけど。)

日本も口先だけなく、実際に中身を整えてから「男女雇用均等法」を豪語して欲しい。

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自己紹介

2010年8月にコネチカット州よりノースカロライナ州へ移住。移住後の生活をブログにて報告します。