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体験入学を終えて 2003/10/18

5月に「反省」したのも束の間、またしても長い長いブランクを空けてしまいました。ごめんなさい。余りにブランクが長いと、いったい何処から書いていいものやら。とりあえず、この夏休みの体験入学の結果から。

私の予想を裏切って?、当初は体験入学に少し後ろ向きだった娘たちですが、結果的にはとても楽しんで来たようです。

最初の1週間をパパの住む千葉で過ごし、そのときにキニコはパパからケータイなるものを早速与えられてしまいました。私だったらそんなものぜ~ったいに渡さないのに! それを使って彼女は「普通の中学生」のように?ケータイでクラスメートとやり取りをしておりました。なんかへんてこなマークみたいなものもちゃんと駆使して。

1週間後2人は私の実家に移り、そこからそれぞれ中学校と小学校に通いました。キニコは前回書いた隣町の附属中学に通ったのですが、初体験のバスと電車を乗り継いでの通学。アメリカじゃニューヨークの地下鉄くらいしか公共交通機関を利用したことないし、どうなるのかしらとワクワクしてたら(私が)、こちらの方はすんなりと慣れました。

しかし難関だったのは、電車を降りてからの坂道。学校までホントに急な坂道が30分くらい続くのです。私も一度学校にご挨拶に行ったときに登ったのですが、その角度たるや半端じゃない。(個人的な話だけど、私の中学だった山中の坂よりずっと急なんだよ!)これにはキニコも結構閉口しておりましたが、「これが日本なんだよ。だから中西部の人みたいな体型の人がいないでしょ」と言ってやりました。

帰国子女のクラスというのもあったのですが、男の子ばかりの5人のクラス。それじゃ真の日本の中学の雰囲気は味わえないから、一般クラスに入れてもらいました。ちょうどダラスからの体験入学の女の子も隣のクラスにいて、同じような子がいることにキニコも安心感を持ったようです。彼女とは「交換日記」なるものをしてました。彼女もドイツに3年、アメリカ7年という長期海外組で日本語より英語が得意の口。2人の交換日記は残念ながら英語でした。でも会話は日本語で交わしておりました。他にもキニコにはすぐにお友達ができ、一緒に神戸に出かけたり、USJに行ったり。

シナコのほうは地元の、歩いて10分の、私の母校である小学校に通いました。昔懐かしい集団登校です。校舎は去年改築したばかりと新しく、最新のテクノロジーとデザインが導入され、私の知っている小学校ではありませんでしたが、ソーラー発電、大きなガラス窓と3階吹き抜けの天井、敷居のないクラスルームと言う具合で、オハイオで通っている古い学校と比較すると、驚くほど進んでいます。クラス全員の人数が一度に利用できる台数を揃えたコンピューター室もありました。

敷居のないクラスルームと言ってもピンと来ないでしょうが、隣のクラスとのパーテーションはありますが、ドアはありません。廊下になる部分は開放されています。パーテーションも可動式で、クラスルームのスペースが自在にアレンジできるそうです。ドアがなくて、隣のクラスの声が聞こえてうるさいのかと思ったら、全く問題にならないそうです。将来、クラスのサイズがどう変わっても対応できること、そして開かれた教室というのが狙いだそうです。

シナコは登校第一目に早速お友達を作り、遊びに行ったと聞いて、本当に順応性が高くて安心だと喜んでいたのですが、そう上手くは運びませんでした。最初は珍しがってくれたクラスメートも、時間がたつと共に興味も薄れ、それと共にシナコのとても強い個性に圧倒され、次第に敬遠されるようになって行ったようです。

子供達が日本に帰って、ちょうど一ヶ月がたった頃、私も工場の夏休みを利用して帰省しました。そのときにそれぞれの学校に挨拶も兼ねて懇談会に伺ったのですが、シナコの先生はシナコが休み時間にいつも独りなのをとても心配していました。私だったらそういう状況だときっと学校が嫌になると思うのですが、とにかく担任の先生、そして校長先生が本当に心から娘のことを受け入れてケアしてくださったので、娘はそんな先生に会うのを楽しみに、学校は楽しいと最後まで喜んで通いました。言ってみれば「図太い」のか「にぶい」のか。

お友達に「しかと」されて、少しは寂しそうな様子を見せたものの、さほど気にすることもなく、「日本の学校は楽しかった~」と1ヶ月の体験入学を終えることができました。当初は日本の学校にネガティブなイメージを持っていた2人が、「また冬休みも行ってみた~い」という豹変振りには、私も驚きました。面倒を見さされたジジババは大変だったと思うけど、本当に行かせてよかったです。

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2010年8月にコネチカット州よりノースカロライナ州へ移住。移住後の生活をブログにて報告します。