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サンクスギビング(2)  2002/02/17

小一時間したころ、子供達も少しあきが来た模様。引き上げて、ベッツィーのところでサンクスギビングを祝うことに。私の車とホープのバン、ダグの車の3台でNJへ向かった。 

サンクスギビングの食事は何と言ってもターキー(七面鳥)。ベッツィーは2羽の七面鳥を用意していた。スタッフィングと呼ばれる七面鳥の詰め物(今どきは別に焼いている)、スイートポテト(日本のサツマイモとは違い、オレンジ色してべちゃべちゃしている)、グレービー(七面鳥の肉汁のソース)、パンプキンパイなどは共通したサンクスギビングの料理かな。グレービーの代わりにクランベリー・ソースを七面鳥にかけることもある。

飛びぬけておいしい料理と言うわけでもないのに、毎年同じ時期に同じ料理を食べて季節感を味わうという意味では日本のおせち料理と共通したものがあるかな。でも実は私はこのサンクスギビングのお料理が好きだ。たまに外のレストランでターキー、グレービー、スタッフィングなどがセットでメニューに載っていたりすると、つい注文してしまう。

それにしてもこの時の人口密度はかなり高くなっていた。日本に比べれば大きな家だから、狭いとは感じないが、ブルックリンからやってきたスザーンとバーニー、ダグが友達から休みの間預かっている大型犬2匹を加えて、総勢大人12人、子供5人、犬3匹。しかもみんな大きい。

さて、その夜は予想通りNJに残ると言ったシナコを残して、夫と私とキニコの3人はNYに戻った。翌朝早く、夫は帰国。遠路はるばるやってきて3泊で帰国というのも信じられないが、仕事もないのに残るわけには行かず一路日本へ。私とニキは早朝からホテルを放り出されて、市内を散策。

お昼前に再び今度は電車でNYCにやって来たNJからの一行と合流。ランチにピザを食べて、みやげ物を買ったところで、リチャードの両親は大きな身体をゆすって「これ以上歩けない」と宣言(ほとんど歩いていなかったのだが。)皆でペンシルバニア駅へ送って電車に乗せた。

そしていよいよグラウンドゼロと呼ばれるワールドトレードセンター跡地へ向かった。私を含め、みんな興味はあったが、特に希望したのはリチャードだった。 実は彼はオクラホマシティーの消防隊員。 オクラホマと言えば、94年の連邦政府ビル爆破事件を連想する人も多いと思う。彼ももちろんこの時、救済活動に携わった。 

祭日ということもあり、地下鉄から外に出ると大勢の人がいた。目隠しのようなスクリーンが張り巡らされ、その上から向こうの方にあるクレーンの頭が見える。スクリーンに沿って少しでも近くに行こうと人が流れて行く。私達もその流れに入っていった。

が、これは大失敗。まるでお正月の神社のお参りのように大混雑の上、遅々とした進み具合。おまけに背の低い私や子供たちは大きな大人の間にはさまれて息苦しい。後ろにも延々と人が続いているし、もはや引き返すこともできない。「なんでこんなところに入ったのよ」とベッツィーが文句をたれる。消防隊員のリチャードは興味深げで一向に構わない様子。(だいたい彼の身長は190センチはあるから、視界は開けているはず。) 20分ほどでようやく50メートルほど進み、横丁へ抜ける道に辿り着いた。

そこからひと筋道を離れ、更に数ブロック南下した。すると右手にさっきは頭しか見えなかったクレーンが手前のビルとビルの間から視界に飛びこんできた。そこには溶けてぐちゃぐちゃになったビルの鉄骨のかたまりが山になっていて、クレーンがその山を崩しにかかっている。

少し掘ると煙があがり、しばらく待ってはまた掘る。「地下ではジェットの燃料がくすぶりつづけているので、掘って空気が入るたびにまた燃え上がるから、慎重にやらなければならない。アメリカ史上最長の火事なんだ。」とリチャード説明してくれた。

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2010年8月にコネチカット州よりノースカロライナ州へ移住。移住後の生活をブログにて報告します。