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その1  2001/01/28

静岡出身でも、県民でもなく、3日以上連続で静岡に滞在したことのない静岡に縁もゆかりもない私が、何でこんなところにコーナーを持ったのか、いさささ不思議だけど、これも何かの縁。楽しんでいただけたら幸いです。

今時、海外に住んでいる日本人は、石を投げればあたるくらいワンサカいるわけだから、何もわざわざ私がレポートすることもなかろうと、初めてこの話が持ちあがったときに声をかけてくれた幼馴染に言ったんだけど、(ちなみに彼女はれっきとした税金を納めている静岡県民)、「そうはいっても、海外で暮らしたことのない人の方が、やっぱりずっと多いんだよ」と言われて、「それはそうだ。では、皆さんの好奇心を満たすお手伝いをしよう」と思った次第です。

ま、このコーナーが人気を博せば、そのうち独立したホームページでも持って、末はオプラかヒラリーか。 ヒラリー・クリントンは皆さんもご存知でしょうが、オプラ・ウィンフリ-は日本でどのくらい知られてるのでしょう? もともとはミシシッピの田舎の出身。それがローカルのラジオ番組から徐々に上り詰め、今や自分で番組を持つテレビのパーソナリティーです。テレビに留まらず、去年は自分の名前をタイトルにした雑誌は出すし、オプラが選んだ本(オプラのブッククラブというマークが本の表紙に印刷されている)は売れるし(私も中の何冊かを読んだ事あるけど、やっぱり外れがない)、私生活の方でも(肥えたり、ダイエットで痩せたりを繰り返しながら)ボーイフレンドと仲良しのようで、順風満帆ってとこかしらん。 彼女の人気は主婦の心をばっちしつかんだ所にあるんだけど、私もその路線で頑張って見ようかな。

私のことは徐々に明かして行くとして、今日は事始に、今いる場所について少しご説明します。ここはいわゆるアメリカのミッドウエストと呼ばれる地域。ミッドウエストを訳せば中西部なわけなんだけど、アメリカの地理から見ても、西はおろか、中央どころか、時間帯で言えば私のいる所は一番東の「イースタン」に属してるのに、何故ミッドウエストなのか??

ところで、ご参考までに、アメリカの時間帯は4つの地位に分かれています。東から、イースタン、セントラル、マウンテン、パシフィック。 代表的な州を揚げようかと思ったけど、それで解るわけでもないから、地図でも見てください。ちなみにここにアメリカの時間帯地図をリンクしておきます。  
            http://www.worldtimezone.com/time-usa2.htm

上記のサイトで右の青で描かれているところがイースタンに含まれる地域。 つまり4つの地域の中で、最初に夜が開けて日が沈むところです。一つの国の中で4つも時間帯があると複雑。例えば21世紀の幕開けは、実は我が家はシカゴで迎えたのですが、ここはセントラルに属するため、イースタンよりかは1時間遅い。で、「ああ、20世紀もあと1時間になったなあ」と、なんだか感慨にひたろうとしたその時、テレビで、イースタン地域が21世紀を迎えてお祝いムードになっているのを見て、「なんだ、家に居たら、もう21世紀になってるんやん」と思った途端、高まった気持ちが萎えてしまった私。

なんだか随分脱線してしまったけど、中西部の種明かしの話でした。これは開拓時代の呼称の名残。ヨーロッパからの移民が最初に住みついたのは東海岸。そして徐々に西へ、西へと開拓が進んで行ったのですが、当初、彼らにとっては今のミッドウエストは開拓最先端だった「西」に対して、十分ミッドウエストと呼ぶに足りたという訳。

それほど講釈たれるほどの内容でもありませんでしたが、次回はもう少し私と家族を紹介した内容に仕立てたいと思ってます。 

その2   2001/01/31

今回は予告通り私と家族についてのお話を少し。

98年7月末、カリフォルニアの大学院で通訳・翻訳の勉強をするため、夫をひとり日本に残し、当時6歳と8歳の娘2人を伴ってに渡米。「今更その歳で学んでも…」という意見もありました。「それだけのお金とエネルギーを注ぐ意義があるか」と自分でも随分迷いましたが、その時考えたのが、コレ。
「やらずに後悔するか、やって後悔するか」 
そうするとやっぱり、やって後悔したほうが、やらずに悔いるよりいいなあと。歳も歳だから、これ逃すと次はないとも思ったし。

「よくご主人がうんって言ってくれたねえ」としょっちゅう言われます。 この点は、本当に理解ある夫で、彼を納得させるのは実際、それほど難しくはなかったのです。 
「子供のことは、心配じゃなかったの」とも質問されるけれど、この点に関しても、うちの場合はとてもやり易い環境にありました。丁度その前年、3年半におよんだ中東での海外駐在(夫の仕事)から戻ったばかり。子供達はアメリカンスクールに通っていたから、英語にはあまり問題がなかった。 そもそも夫の出張が多いことから、離れていることにはお互いかなり免疫がある。 
そこで一番ネックになったのが金銭的な問題。大学院の学費がかなり高額だったから。そこで、申し込んだ奨学金が得られたら、そして2年後には必ず帰国するという条件付きで夫の承諾を得たわけです。

去年5月、無事コースを終了し、本来なら即刻帰国のはずだった。だけど、私の目指す通訳という稼業は、特に日本では「学歴」より「経験」。 実際、場数を踏まずに上達は有り得ないということは、この2年間を通して私にもよくよくわかった。 要は、「習うより慣れろ」の世界で、学校を出ただけで簡単に仕事が見つからないことは、先輩の卒業生などからも聞いていた。 

アメリカにはわが校の日本語コース卒業者を毎年数人採用している日系企業があった。私は何よりも履歴書に「経験」の2文字を刻みたかった。そこで、またしても夫を拝み倒して、「あと1年だけ」と言う約束をとりつけたのです。運よく採用となり、今日に至っております。
 
「どうやらアメリカに住みつくつもりらしい」
「とうとう、離婚…?」
なんていう噂も出たりしているようですが、今年の8月の雇用契約満了をもって、ちゃんと日本に戻ります。

というわけで去年8月にオハイオ州に越してきました。
(その1)の話に戻るけど、ようく調べて見ると、中西部でイースタンの時間帯に属す州は、唯一オハイオだけだとうことが判明。お隣のインディアナも中西部の州で今はイースタン時間だけど、ここは特殊で夏はセントラルの時間帯となる。つまり、いわゆる「夏時間」を使用していないの。(注:2006年からインディアナも夏時間の使用を開始。)

アメリカには「夏時間」を使用していない、言いかえれば1年を通して時間が変わることのない州は他にもう一つ、アリゾナ州がある。(ここは私が高校時代に1年間留学していた「第2の故郷」です。) 双方ともあえて時間を変更して「日の光を惜しむ必要がない」って訳。アリゾナは灼熱だから簡単に想像がつくでしょう。インディアナの場合はイースタンでいけば西の端。夏時間で1時間早めると、朝の暗い時間が長くなり、夜はなかなか日が沈まない理由から。

さて、このコーナーでは、私達の生活を通して、皆さんが興味を持ちそうなことをお話していこうと思っています。質問も歓迎致します。全ての質問には答えられないでしょうが、私が皆さんの質問の中から、答えられる範囲で、面白そうな内容をピックアップしてカバーして行こうと思っています。

歯医者  2001/02/04

ワーキングマザーの頭痛の種と言えば子供の病気に医者通い。
幸い我が家にはアレルギーなど慢性疾患の持ち主はいないから、お医者さんのお世話になるのはもっぱら突発性の病気と歯。

上の娘が風邪で火曜から発熱。なかなか熱が下がらず結局丸々1週間学校を休んだ(月曜は寒さのせいで学校が休み…この話はまた)。

有給休暇がなく、会社をお休み=減俸、となるわが身としてはかなり手痛い。そこで無理やり翻訳の仕事を在宅ですることを許可してもらって今週は乗り切った。

まあ、病気のときは致し方ないとしても、歯医者ごときで会社を休むとか早引きするなんてとんでもない。

と、ところが…。

二人の娘の詰め物が取れて久しい11月。これまで取れたものをアロンアルファで何度も貼り直して、ダマシダマシ来ていたけれど、ようやく保険にも加入したことだし、晴れて歯医者へ! 
予約の電話を入れた。 

この町(村?)中の歯医者に電話したけれども、どこもかしこも開業時間は5時まで。(事情は歯医者に限らない。) 私の仕事が終わるのが4時(工場だから終業が早い)。どんなに急いでも4時半がいいところ。

ぐっと譲歩して4時以降の条件で聞いたけれど、どことも遅い時間は一杯で、一番早い予約で、1月12日。 
えー、そんなあ。1ヶ月以上も先?! 
じゃあ、働く人や学生はいつ歯医者に行くんだよ? (日本のお医者さんってもっと遅くまでやってるよね? アメリカの医者、もっと働け!)

娘に聞いたら、お友達は歯医者などで簡単に学校を早引き、遅刻するそう。親が学校に迎えに来ると、入り口の事務所から担任に連絡が行き、
「セラ、荷物を持ってオフィスに行きなさい。お母さんが来てますよー。」
「ダニ-、お父さんよ。オフィスに行ってね。」
てな具合に、いとも簡単に帰っていくんだそう。

もちろん会社員とて事情は同じ。よくよく観察していると、
「明日は歯医者なんで、出社は午後になります。」
「今日は眼科の予約があるんで、これで…」
なんて会話がちょくちょく聞かれる。

で、有給のない私は、その日は30分早く出社することで、30分早く帰してもらった。

これで終われば敢えて書くほどのことはないんだけど(どうも私の話は長い)。

だって、こんなに苦労して行った歯医者なのに、その日は初回のクリーニングと、どこが悪いか見るだけ(予約の時点で分かってたことながら…)。

歯医者いはく、
「2人とも乳歯が残っていて、抜かなくちゃならない。これは歯並びにも影響するから「矯正歯科」の分野です。虫歯も乳歯だし、まずそちらにかかって意見を仰いでから、その後どんな治療をするか考えましょう。」

そうなんです。アメリカの歯医者は専門分野別に細かく分かれているのです。
虫歯の治療をする歯科医。矯正専門。神経専門。歯周病専門…などなど。

で、まずは普通(虫歯)の歯科にかかり、歯周病なら、そっちにまわされ、歯を抜くときは神経の方へ、歯並びが原因となると矯正歯科となる。きっと大都会なら「総合歯科」で別々の担当医を一つの屋根の下に抱えているんだろうけれど、いかんせん、ここは「村」だから。

日本でも最近は、小児歯科とか美容歯科だとかあるけど、ここまでは細分化されてないでしょう。

歯医者さんのアドバイスに従い、素直に矯正歯科に予約を入れた。
「4時以降で一番早い予約は…えーっと、2月6日4時10分です。」 
ついでに普通の歯医者で、私の初回クリーニングの予約も入れてみた。
「3月19日の4時半が空いてますねえ。」

全ての治療が終わらぬ前に帰国、と相成りそう。

テーブルマナー 2001/02/06

テーブルマナーが語れるほど我が家は躾が良くない。
いや、そういうレベル以下で、お茶碗を持ち上げずにごはんを食べたり、肘を付いたりは序の口、食卓で歌うわ、挙句の果てに下の娘は、「うん○」とかおもむろにのたまって席を外れるわ。

ヨーロッパとアメリカのテーブルマナーの大きな違いはナイフとフォークの持ち方にある。(私の言う「アメリカ」というのは一般的なアメリカで、ハイソな上流社会やニューヨークやロサンゼルスのヨーロッパ風にソフィスティケートされた人々は除きますので、あしからず。)

ヨーロッパ式は、一般的に知られるナイフとフォークの使い方。右利きの人は右手にフォーク、左手にナイフ。 日本でよくやるように、ご飯をフォークの背に乗せることはないにしても(フォークの腹に乗せます)、デザート以外はフォークとナイフはセットで手にしているもの。

アメリカ式は、切る時にだけナイフを右手、フォークを左手に持ち、切り終わるとナイフを置いて、フォークを右手に持ち替える。一口ずつ切るのが正しいマナーなので、食事中のこの持ち替えは頻繁に行われる。ただし、家庭の中や子供の場合は、最初に全部細かく切り分けてしまうことも多い。

イタリアでの正しいマナーのスパゲティーの頂き方は、左手にスプーンを持ち、パスタをすくったフォークの先をスプーンに当てて、くるくるっと巻き上げて行く。日本じゃもうお馴染の光景だけど、アメリカではなかなかお目にかかることはない。スパゲティーも短めに折って料理してあることが多い。

ついでにパスタの堅さの話をすれば、日本じゃ「アルデンテ」なんて言葉がすっかり浸透したけれど、一般的なアメリカのパスタは、まだ一昔前のママ-・スパゲティー並。(今じゃママ-でさえ、100%デュラムセモリナだもんね。)

さて、長女の誕生日に外食した時のこと。

オリーブガーデンというレッドロブスター系列のイタリアン・レストラン。
パスタはやっぱりアメリカ風にソフトだけど、この手のチェーン・レストランとしては他所よりは多少単価が高いし、それなりにイタリア風。

週末のその日は超満員の75分待ち。オハイオに引っ越してから、「オリーブガーデンに行きたいなあ」と3人でずっと思っていたところ、ここいらで一番大規模なモールでやっと見つけた1軒。 ここまで車を一時間飛ばしてやってきた田舎者としては、75分待ってでも食事がしたかった。
近くに本屋の「バーンズ&ノーブル」があったからそこで時間を潰すことに。

さて、薄暗いレストランの中に案内されると、そこは家族連れやカップルでにぎわっていた。

ふとあるふたり連れに目が止まる。 20代半ばってところ。
見つめあうふたりのテーブルに、彼らが注文したフェットチーネ(きしめん)が運ばれてきた。

男性はおもむろにナイフとフォークを握りしめると、そのクリームソースがかかったきしめんに向って、滅多切り攻撃をかけ始めた。

縦に横に斜めに、激しくナイフを動かしている。
むかえに座る彼女には別段驚いたそぶりもない。
ひとしきり切り終わると、ナイフを下ろし、右手にフォークを持ち替えて、ぐちゃぐちゃになった代物をせっせと口に運び始めた…。

これぞ究極のアメリカ式パスタの食べ方か。

学校と親 (1) 2001/02/14

サウジアラビアにいた時は暇を持て余していたので、定期的に学校にボランティアに通っていた。 だが、カリフォルニアの時は自分の学校、今は仕事で時間がないので、子供の学校のお手伝いをする機会がなくなってしまった。一度、子供の遠足に付き添ったくらいかなあ。

日本に帰れば、働いていようが、いなかろうが、容赦なく「お当番」で学校の係りが回ってくるらしい。娘達が日本の学校に通ったのは1年だけで、役員などもしたことがないから、わたしの認識が誤っていたら、正してください。

兼ねてから思っていたのは、日本の学校は親の使い方が下手だということ。そして都合よく使いすぎている(と書けば上手に使っているわけで、矛盾するようだが)。

日本の学校で親に「押し付けられる」さまざまな係りを思い出すと、どれも直接授業やクラス活動に関係するものではない。親は学校には出掛けて行くが、教室に足を踏み入れることなく、別室で何やら活動をするようだ。

一方、アメリカの学校でボランティアをする人は、まず、母親に限らない。父親の場合も多いし、おじいちゃん、おばあちゃん、近所の人なども含まれる。そしてその内容はどれも教室と直に結びついている。

例えば、授業で遅れている子供の勉強を見てやる(たいていの場合は廊下にある机に並んで腰掛けて、一緒に読んだり、算数の問題を解いたり)。 クラスの授業で使う小道具を作る(これは別室で母親が集まって作ったりすることも)。 遠足や課外授業の引率(運転手)。 イベント(パーティー、子供のためのお店、バザーなど)のお手伝い。 自分の特技を紹介する(本を読んでやる、自分の仕事や出身地を紹介)など。

(実はサウジアラビアから帰国したときに、先生から「サウジアラビアのお話をして下さい」と娘か私に声がかかるのを心待ちにしていたのだが、とうとうそういう機会はなかった。なんだか自分からも言い出しにくい雰囲気だった。)

もちろんPTAの役員だってちゃんといる。やりたい人はいるもので、積極的にいろいろな活動をしている。日本の押しつけからは出て来ない「意欲」がそこにはある - 子供がもらってくるPTAの手紙を見れば、その人達の活動に対する意欲が感じられるのだ。

ボランティアは、先生やクラスのことを良く知り、同時に我が子の学校での姿をしっかりと観察できるチャンスでもある。だからこそボランティアをしよういう気持ちが湧くのである。

勿論、先生にとっては、決して都合のいいことばかりではない。常に監視の目があるわけだから、手も抜けないし、めったなこともできない。 

是非、日本の保護者の活動も、保護者にもっと自主性を与え、授業と直接関わりのあることを先生方と協力してやっていけるようにしてほしい。そうすれば、もっと学校と関わりを持ちたいと思う人がでてくるはず。また、保護者の活動内容や時間にも、もっと柔軟性を持たせ、できる人ができる時にという形も導入すべきだ。

いまのお母さん達は、いはば上手く「雑用係」に使われているだけ。つまり学校側の使い方が下手なのだ。

貴重な人材を活かさない手はない。

学校と親 (2)  2001/02/15

今日は下の娘の個人懇談会。3年生になって2度目。自慢じゃないんすが、懇談会ではどちらの娘も鼻高々、ホント、嬉しいざんす(自慢してるやないか)。きっと日本の学校じゃこういう訳には行かなかったんでしょうが、アメリカでは今のところ自分の子にしては信じられないくらい上出来で、私が小学校の頃は底辺をうろちょろしてたのに、どうして。この子等はパパに似たのかなあ。

でも今日の話のポイントは親バカ談ではなく、この懇談会の時間帯。私の時間は7時からでした。もち、夜の7時。

懇談会は4時から7時半までの間で希望できたんだけど、私はいつも遅目の時間をお願いする。

アメリカの会社は朝早く始まり、夜も早く終わる所が多い。 私の会社でも、6時半から3時という時間帯を選んで働いている人がいる。 4時からという時間帯は、要するに働く保護者が懇談会に参加しやすい時間帯なのだ。カリフォルニアの時は、これに加えて朝の授業開始前にも懇談会をやっていた。

だから懇談会に両親揃って出席というのは普通。もちろんお母さんだけ、お父さんだけというのも同じくらい普通だし、おじいちゃん、あるいはおばあちゃんもしょっちゅう見かける。

懇談会に限らず、たいていのイベントは夜行われる。例えば、クリスマスコンサート、タレントショー、歌の発表会、劇などなど。ちなみに下の娘は3月に歌と劇の発表会があるが、7時から。上の娘が学校のバンドに入るときに、事前説明会があったがこれも7時からだった。 (もちろん子供たちは一旦帰ってから出直す。)

全てが全て、保護者が参加しやすいよう夜の時間帯が組まれている。

学校に限らず、託児所や職場など、ここでは「働きながらの子育て」があたりまえにできるような環境が整っている。 託児事情などは後日詳しく書くとして、私がこうして実質シングルマザーとしてやっていられるのも、アメリカならではこそ。日本じゃとうてい有り得なかった。(だからこそ、アメリカに来たんだけど。)

日本も口先だけなく、実際に中身を整えてから「男女雇用均等法」を豪語して欲しい。

学校格差 2001/02/18

ある読者のコメント。

「アメリカの学校って、やっぱものすごく自由な感じがする。…いいことばっかじゃないだろうけど(完璧なら銃乱射事件なんて起こらないよね)。」

自由と言う言葉がちょっと気になったけど(自由と言うより、「柔軟」だと思う)、私も日本と比べてアメリカの方が全て優れているなどと言う積もりはさらさらない。どちらも一長一短。

先の大統領戦でも教育は両候補者が多いに語るところだった。改善の余地が多いからだ。勿論、今回の選挙では経済が落ち着いていて(選挙中は)あまり取り上げるところがなかったから、その分福祉や教育に焦点が注がれたと言うことは否めないけど。

「○○小学校では、学校の窓ガラスが割れたまま。机や椅子もひどい状態で、こんな環境では子供たちは勉強することができません。」と語る政治家。 先日は「××市では、スクールバスが廃止になりました。市の予算が悪化したため。」という報道(これは後日「住民投票」の結果、復活。) ある町では市会議員の使いこみのしわ寄せで、学校予算が大幅カット。こんなニュースをちょくちょく耳にする。

アメリカの公立学校は連邦政府(=国)ではなく、各市町村に運営がまかされている。だからその財源となるのは、「州」や「連邦」税ではなく「市」の税金だ。

これが結果として学校の格差を広げる要因となっている。つまり金持ちが多く住み潤沢な「住民税」が入る町、企業からの税収の多い町などは、当然学校に割り当てられる予算も多い。一方、貧民層が多い地域では状況は全く逆だ。子供たちを良い学校にやりたければ、引っ越すか私学に通わせるしかない。良い地域に住むためには、当然高い家賃を払わなければならない。多くの場合は、私学に通わせる方が手っ取り早い。

こうして、さらに学校格差は広がって行く。

それに追い討ちをかけるのが先生の層である。公立学校の先生は「市」単位で雇用される。誰だって、「給料の安い荒れた学校」よりは、「高給で設備の整った明るい学校」で教えたいはず。

カリフォルニアで私達が住んでいたのはモントレー半島にあるパシフィックグローブという町。小ぢんまりとした町だがビクトリア調の古い家が立ち並ぶ美しいところだった。モントレー半島にはこのほか隣接した3つの町がある。モントレー、ぺブルビーチ、カーメル。モントレーは半島の名前とともに、観光地として特に知られている。ぺブルビーチには先日マスターズが行われた有名なゴルフ場があり、カーメルは中でも一番の高級住宅地でクリント・イーストウッドが市長を務めたこともある。

私が子連れ留学をすんなり許されたのも、このように私の学校が「裕福な」治安の良い場所にあったからでもある。当然、子供たちが通った小学校も評判がとても良かった。

そして去年の9月のこと。学校が始まる前日、クラス発表の張り紙を学校に見に行った。上の娘のクラスの担任蘭は「未定」となっている。どうしたものかと思っていたら、翌日にはちゃんと新しい担任が来ていたそう。後で先生に話を聞けば、「希望は出していたんですけれど、急に空きがでたらしく、ぎりぎりで雇用が決ったんです。」

彼女は、ヒスパニックの多い別の町の学校で教えることが決っていたのを、急遽「蹴って」娘の小学校へ来た。

この調子で、地域によっては先生が集まらず、挙句の果てに「免許のない」人を穴埋めに雇っているといった場合もあると聞く。

この状況をいかに改善するか。そこで今、ちょくちょく政治家の口に上る言葉が「バウチャー」制に「チャータースクール」。どちらも公立学校に「見切りをつけた」保守派の共和党(=ブッシュの政党)に主に支持されている。

長くなるので、この2つの内容は次回。

バウチャー制とチャータースクール 2001/02/20

一昔(?)前に公明党の「肝煎り」で消費税の一部を還元するとかで、お買い物券みたいなのが、子供ひとり当り2万円かなんかもらったよね。あれはなんて言ったっけ?

既に私達はアメリカに住んでいたので住民票は抜いてあった。住民税というのはその年の1月1日にどこにいるかで決まるもの。で、もしかして1月1日に日本にいなければ、そのお金ももらえないかも、と焦った私は、12月26日にお正月を日本で過ごすために帰国した際に、すぐに転入届を提出し(小学校編入手続きの書類までもらってしまった)、10日後に再び転出届を出した。

果たしてこれが功を奏したのかどうかは不明だが、後にしっかり2人分、しめて4万円を手にすることができた。(ちゃんと税金を納めてるんだから、当然の権利なのだ)。

さて、この時の「お買い物券」も、アメリカのメディアは「バウチャー」と呼んでいた。

バウチャーと言うのは金券。アメリカの教育に関してのバウチャーは早い話が補助金である。公立学校のレベルが低い理由で、子供を私学にやる際に保護者に支払われる。

ただし、公立校のレベルに関係なく好みで私学に通わせる場合と、どう線引きするかでけっこうもめている。

詳しくはこちらをどうぞ:
http://www.umlaut.co.jp/onuma/voucher.html

一方、チャータースクールは、一見普通の私立校と変わらない。唯一違う所は、その資金が「税金」によってまかなわれるところ。つまり学校側は営利で運営するが、学校に子供を通わせる親は、授業料を払う必要はない。学費は税金から支払われるからだ。

子供達のレベルをある一定以上に維持することができれば、学校側はビジネスを継続することができるが、さもなければチャータースクールの資格を失う。そういう意味で、運営側がより真剣に教育と取組むだろうというのがねらいである。既に多くの州でチャータースクールが存在するが、実際の所まだ実験段階の域を出ていない。うまく行っている例もあるようだが、逆に既に廃業した学校もでてきている。

詳しくは下のサイトを参考にどうぞ:
http://www.univpress.co.jp/chukou/charterschool.html

番外編 2001/03/27

長らくご迷惑をおかけしました。
ようやくコンピュータが直りました! でも言うなれば脳卒中で入院して、なんとか普通の生活ができるまでにはなったものの、いつまた発作がでるかとどきどきしている状態。無理は禁物です。

きっかけは、子供用のゲームソフトをインストールしたことから。これまでにも2、3アメリカのソフトを私の日本語環境のウィンドウズにインストールしたことはあったし、ぜんぜん問題がなかったから、「言語が違います」みたいなメッセージが出たけれど、無視してインストールを強行したら…。

ウィンドウズが起動しなくなったのだ。何だかわからないメッセージが出て、その後、続行してもブルーの画面が出るだけでアイコンもスタートボタンも何も出てこない…。こうなったらもうお手上げ。

会社でDOS時代のコンピュータを使っていたことがあるという化石のようなS氏にお願いして診断してもらう。氏いはく、「ハードディスクは問題ないから、セットアップ用のバックアップディスクを入れたら、すんなり立ち上がるよ」

というわけですぐに夫に頼んで、バックアップ用のディスクを送ってもらうことに。

ところで、ある友人がムーアの法則ならず、コンピュータ10万円の法則というのを教えてくれた。コンピュータの寿命は10万円=1年というのだ。15万円出せば1年半、25万円なら2年半という具合に。そう思って見渡してみると、申し合わせたように、ぴったり壊れているのだ。もうこれはコンピュータ会社(あるいはマイクロソフト)の陰謀としか思えない。

さて、届いたディスクを入れて、ウィンドウズが立ち上がるのを心待ちにしたが、結果は同じ。こうなれば残る手段はウィンドウズを入れ替えるだけしかなさそう。独力で95を入れ直そうとしたけれど、画面に表示されるDOSの言葉が理解できない。何を入力しても、アホの一つ覚えのように 「コマンドが違います」を繰り返すばかり。

またしてもS氏に頼んで、「ダメ元ですから、煮るなり焼くなりしてください」と運命を託したのだった。
週末の6時間半を費やして、なんとかハードの中身を残そうと苦心してくれたけれど、やっぱりダメ。仕方がないから95を入れ替えてくれた。
起動するようになったPCが月曜日、私の机の上で待っていた。

「DOSの言葉が15文字しか理解できないところに、ゲームのDOSの言葉は30文字だったからそれが邪魔してたんだね」というS氏の解説は、DOS言語と同じくらい私には理解できなかった。

とにかくルンルン気分で自宅に持ち帰り、さあインターネットだと喜び勇んだけれど、ケーブルのセットアップができない。そう言えばケーブル会社のお兄ちゃんも「日本語のウィンドウズには、××がない…」とかぶつぶつ言って、一人目の若いお兄ちゃんではだめで、再び日を改めて先輩格のお兄ちゃんがやってきて、ようやく繋がったんだったっけ。ケーブルがだめならモデムがあるさ、と思ったけど、モデムのセットアップ用のディスクがない。ついでにプリンターのセットアップディスクも持ってない…。

インターネットがだめでもワープロとして使えるから、子供の宿題はできるし(レポートの提出とか、たまにある)、このホームページへの投稿原稿の書きだめでもするか。
ところがどこを探しても、ワードもエクセルも見つからない。

翌日会社でS氏に「ワードとかエクセルってどこに入ってるんでしたっけ?」
「何言ってんの。オフィスのソフトがないと、そりゃだめよ。」
ああ、そうだったのか。ウィンドウズになんでも入っているのかと思いきや、みんな別々なのね。
そしてまた、日本の夫にSOSをして、セットアップのディスクだの、オフィスのソフトだのを一式送ってもらった。

海を越えての郵便を2度も待たねばならなかったから、復活まで時間がかかりましたが、ようやくここまで回復しました。 これは快気祝もらってもバチあたらないなあ。

PS. 
でも正直言って、コンピュータのなかったこの1ヶ月、ずいぶん時間に余裕があった…知らず知らずのうちに、コンピュータに時間がとられていたのね。今日もこの原稿を書くのは2度目。だって1度目に書いたのはなぜか全部消えてしまったんだもん…。

ジョーク (1)  2001/02/21

電子メールを介してしょっちゅう回ってくるのが、幸福の手紙、ウィルスのデマ、嘘か誠かわからない美談やエピソード、そしてジョーク。

ちょっと堅苦しい話が続いたので、今日はちょっと、そんなジョークの中から少しご紹介します。今日のテーマもまた「子供」。ジョークの他に教訓みたいなのも混じってます。(一応、翻訳などもしてご飯を食べている身なので、訳もつけました。) 

Mothers of teens know why animals eat their young.
ティーンエージャーを持つ母親は、動物が何で自分の子供を食べてしまうのかよくわかる

Children will soon forget your presents, but they will always remember your presence.
子供はもらった物のことはすぐ忘れるけど、命をもらった親のことは決して忘れない (ちと、アレンジ)

Be nice to your kids. They'll choose your nursing home.
自分の子供は大事にしよう。 老人ホームを選んでくれる人だから…

They say kids brighten the home. That's because they never turn the damn lights off.
子供がいると家が明るくなると言われる。そりゃそうだ。何べん言っても電気をつけっ放しにするんだから。

Give your children two things. One is roots, the other, wings.
子供には2つのものを授けよう。ひとつはルーツ(根)、もうひとつは翼。

Cleaning your house while your kids are still growing is like clearing the drive before it has stopped snowing.
成長期の子供がいる家を掃除するってのは、雪が降り止まないうちから雪かきをするようなもの。

There is only one pretty child in the world and every mother has it.
世界で一番可愛い子供はたったひとりしかいない。 でも世の母親みんなに世界一可愛い子がいる。

The main purpose of holding children's parties is to remind yourself that there are children more awful than your own.
子供にお誕生日会を開いてやる本当の理由は、自分の子供よりもどうしようもない子供が存在することを確認するため。

Anyone who says 'Easy as taking candy from a baby' has never tried it.
「こんなもの、赤子が握ってるアメを引きぬくくらいに朝飯前のことだ」なんて言う奴は、実際にやってみたことのない人。

Kids need love the most when they're acting most unlovable.
憎たらしい態度の子こそ、もっとも愛情を必要としている

The best gift parents can give their children is a few minutes of their time each day.
親が子供に贈ることができる最高のプレゼントは、毎日、数分間でいいからその子のために割いてやること

…最後のふたつはちと耳が痛い私であります。

英語と日本語について (1) 2001/03/30

今日は日本語と英語の違いについて。
これは私の発見でも何でもなく、英語に触れる機会のある人なら感じていることと思いますが、そういう機会のない方のために、通訳という職業柄、しばしば悩まされていることについてお話します。

どちらも文法に関連することなのですが、一番の違いは英語では主語のあとにすぐ動詞がやってくるのに対して、日本語の場合は最後に出てくるということ。 二つ目の大きな違いは、英語の場合はきちんとした文の構成、つまり主語+動詞+補語、あるいは主語+動詞+目的語 (学校時代を思い出すでしょう?)という造りがあるにもかかわらず、日本語は主語や目的語がなくても平気で文章になっています。

この二つが通訳の泣き所です。

ちなみに通訳の方法には大きく分けて二種類、逐次通訳と同時通訳というのがあります。読んで字のごとく、前者はしばらく聞いてから、一旦話し手に話すのを止めてもらい通訳をする方法。もうひとつは話し手が話す傍らで、聞きながら同時に訳していく方法。

逐次と同時では、一見同時通訳のほうが難しいように思えますが、実はどちらも違う意味での難しさがあります。

逐次の場合は、上に書いた文法的な違いに悩まされることはあまりないのですが、言われたことを一言一句そっくりそのまま訳すより、内容がわかりやすいようにまとめるテクニックが必要です。そのためには内容を十分に理解している必要があります。また少し時間をおいて訳すために、記憶力も大切です。聞いているときはわかったような気がしているのに、いざ訳そうとすると頭の中が空っぽなんてことも多いのです。特に何の予備知識もない場合はなおさらです。知っている話だとある程度想像もついて、とんでもないミスはおかさないものだけど、まったく知らない話だと、聞いていても何の話だかまったく分からず、メモを見ても思い出せず、平気でまったく逆のことを言ってしまうことも。

同時通訳の場合は、記憶している時間は短くて済むのですが、瞬時に言葉を置き換えなければなりません。また、聞きながら話すという「離れ業」もこなさなければなりません。

さて、私の職場ではほとんどの場合が同時通訳です。同時通訳でも国際会議のように通訳ブースに入って訳すのではなく、ウィスパリングと呼ばれる方法で、「お客さん」の耳元でささやく、あるいはマイク(発信機)を使って「お客」さんにはイヤホーンをつけて聞いてもらいます。

それで常にこの日本語と英語の文法の差に悩まされるのです。 たとえば日本語から英語の場合だと、動詞がなかなか出てこないものだから、適当に先に当たりをつけて動詞を言うんだけれど、時々「読み」が外れてしまうことがあります。

たとえば、
「私は、京都で桂川の橋の近くで写真を撮ったら…」なんて文章を言われると、ここまで聞いて、たいていは「…だった」という過去の文章が続くと思うでしょう。だから恐らく 「京都で、桂川の橋の近くで、私が写真を撮ったとき」なんて言ってしまうんですよね。ところが、「…どんなにきれいな写真が取れるだろうと思う。」なんて言う仮定の文章が続いたりすると困っちゃうのです。

逆に英語から日本語の場合は、動詞が早く出てきてしまうものだから、それを覚えて文章の最後に言わなければなりません。でも間の部分が長いと忘れてしまうのです。

たとえば、「私は本日メディアに発表になりましたプロジェクトを必ずや成功に導くことを皆さんにお約束します」という文書があったとします。英語の場合は「私はみなさんにお約束します」という部分が先になるので、「みなさんにお約束します」を頭の片隅においておいて、「本日発表になりました云々…」と訳すのですが、言っているうちに、動詞が何だったか忘れてしまうことがよくあります。(自慢してどうする) 

そいうときは、すぐに「…ということです」と訳もなく付けたくなっちゃうのです。得意なのはコレともうひとつ「…が重要です」。つまりこの場合なら「…導くということです」とか「導くことが重要です」ってな具合。まるっきり外れてもいないけど、なんだか釈然としないのです。でも忘れたからといって途中で黙ってしまう訳にも行かず、苦肉の策ということです…。(ああ、また言ってしまった。)

そして、文法がファジーな日本語から英語に訳すときに困るのが、不必要な文章がだらだら続いて、しかも文の途中で方向が変わったり、別の文章が入って来たりするとこ。

「えー、繰り返しにはなりますが、このまえの会議でもありましたように、そして皆さんもすでにご承知であります、以前から懸案になっております○○の件でございますが、まあ、言ってみれば、それほどね、何て言いますのか、複雑…というほどのものでも、まあ、複雑と言えば複雑と言えないこともないんですけど、そう言ってしまうともともこも無いといいますか、××さんからも先ほどご指摘がありましたし、ここいらで一旦きちんと、決着っていうんですかねえ、そう言ってしまっていいと思うんですが、まあ、解決に向けてですね…」 
おーい、どこまで続くんだよー。 

加えて究極的に困るのは、「こそあど」言葉と「擬態語、擬声語」が多くて何を言わんとしているか検討もつかないとき。

「実はね、例のあれ、そうなのよ。 あれゴロッってなったもんだから、こっちのこれがさ、ポロでしょ。だめ、だめ。あれじゃあ、全然。元のあっちのほうがまだいいわ。だからさ、ここんところを、こうして、クルリンってやれば、ここがグググってなって、カチって行くから、そのときにあっちのこうなっているところをプスってやって…」

これは極端な例だけど、結構この手の話し方が多いのです。ご本人は実際の場面をみているから頭に絵が浮かぶのでしょうが、見たことも聞いたこともない通訳は頭にイメージも浮かばず本当に困ってしまうのです。こういうのはお手上げ。

もひとつおまけに困るのは、日本人は何でもかんでも省略してしまうこと。省略語として市民権を得ている言葉なら許すんだけど、中には好き勝手に省略して「内輪」だけでしかわからない言葉も多いのです。
「ゲンポー」なら「現地法人」の略として結構使われる言葉だけれど、「ゲンチョー」って分かります? (現地調達)
「ファミ・レス」なら今では一般に使われている(と私は思っている)けれど、「カフェテリ」が「カフェテリア」だとすぐに耳で聞いてわかるかなあ。(大体、略してるのは「ア」だけなんだから、どうしてその一音を言う努力を惜しむかなあ)。これをもともと耳慣れない会社の名前で省略なんかされちゃったりすると、もう「???」の世界。(たとえば「安藤テクノロジー」なら「アンテク」となり、その言葉が英語なのか日本語なのかすら、もはや区別がつきません。)

なんか随分と脱線して、たんなる愚痴になってきたので、今日のところは一旦これでおしまい。

英語と日本語 (2) 04/02/2001

さて、英語では動詞が先に出てくるといいましたが、動詞は文章の中でも一番重要な言葉。たとえば「賛成する」のか「反対する」のか。「行く」のか「行かない」のか。ポイントですよね。

その重要な点を先に言ってしまう英語と、重要な点が後から出てくる日本語。これは単に文章の構成に限らず、日本人、アメリカ人の思考の特徴を表しているようにも思えます。

たとえば、通常日本人なら、
「明日は、午前中は歯医者の予約があって、午後は娘の懇談会がありますので、すみませんがお休みさせてください。」と言うでしょう。
でもアメリカ人なら、
「明日はお休みしなければなりません。というのは午前中に歯医者の予約と、午後には娘の懇談会があるからです。」と言うのです。

日本人の場合はどうしても先に「言い訳」したくなるんですよね。先に理由を並べて、その間に自分の言わんとしていることを相手に読みとって構えてもらおうという、潜在的な気持ちが文の構成ににじみ出ている…と感じるのは私の思い過ごし?

逆に英語の場合は先にポイントを述べて、相手の注目を引くというねらいがあるように思います。
たとえば、「明日はお休みします」って言われると、「えっ? どうして?」ってなるでしょう?

つまりアメリカ人は結論を先に言って、理由をその後に述べるのに対し、日本人は先に理由を述べて、その後に結論を述べるのです。このアプローチは単にひとつの文章にとどまらず、論文やスピーチでも同様。

カリフォルニアの学校でスピーチの授業を取ったときの話。スピーチでは原則として、一番最初に最も言いたいことを述べ、次にその理由や例を述べていき、最後に再び同じことを結論として繰り返すのです。(そう、とてもくどい。)

ところが私は、あるスピーチで最初に「逆説」を述べ、そして徐々に実はそうでないことを、例をあげて証明していきました。ところが教授のコメントは、私が一体どっちを言いたいのか混乱してしまったと言うのです。

関西人の私としては、最初に「落ち」を言ってしまったのでは面白くないと思ったのですが、どうやらそれはここでは通用しないようです。

英語と日本語 (3) 2001/04/04

レポートや論文でも同様に、一番最初に言いたいことを書き、最後に「結論」として同じ事を繰り返すのがアメリカ流。表紙に始まり、目次、序説(=結論)、本文(中でもしつこくポイントを繰り返す)、結論、文献目録で終わるレポートの書き方が一般的。

驚いたことに、こんな本格的なレポートの書き方を小学生のころから教わるのです。

先日、5年生の娘が学校で「サイエンス・フェア」に参加した時のこと。理科の展示会で、それぞれが観察した内容を最後にレポートにまとめるのですが、もらって来たレポートの書き方の例を見ると、まるで私が大学院で論文(しょうもない)を書かなくちゃならなかったとき、「この様式で」と指示された上述のスタイルではありませんか。 ちゃんと文献までつけなくちゃだめで、なかなか立派なもんでしょう? (と同時に気が重くなった)

そうか、こんな小さいときから、このスタイルでやってきているから、骨身にしみているはず。

日本では論文の書き方なんて教わらない。「起承転結」は学んだけど、これって作文・物語の書き方…ですよね? 勿論スピーチなんて授業もない。 (高校留学時代、授業科目の中にスピーチや演劇があってびっくりした。) こりゃ、討論や論争になると日本人がたじたじとなってしまうはずだわ。

そう言えば、カリフォルニアの学校では「国際交渉」のテクニックを習う授業までありました。教えていたのは中東和平交渉にも「仲裁者」チームの一員として参加しているような先生。その授業に通訳として参加させてもらったんだけど(本当の国際交渉には通訳が入ることもあるから、シュミレーションの目的で、通訳コースの私たちが一役買った) なかなか面白かった。やばくなったら「トイレにたつ」とか「休憩をとる」。 決まったことは覚書を交換する。相手のコメントを繰り返して言うなどして相手の話を「聞いている」ことをアピール、とか。

日本でもこんな授業をやっているところがあるのかも知れませんが、とにかくもっと積極的に「話し上手」になる努力を日本人はして行く必要があると感じています。

奥深い日本語  2001/04/06

ワードやエクセルと並んで幅広く利用されているソフトで、パワーポイントというプレゼンテーション用のソフトがあるのを知ってますか? 昔(今も?)で言えばOHP。 最近はコンピューターをプロジェクターに接続して、パワーポイントで作った資料を直接スクリーンに写して発表します。

そこで、そのプレゼン資料の翻訳を依頼されることが多いんですが、口頭で説明するための資料だから、だいたいが短い文章。 見出し風の表現や、体言止めも多く、過去のことだか、将来のことだか分からないこともしょっちゅう。

また「漢語」っていうやつは便利で、簡潔に内容が説明できるから、好まれて使用されてます。

で、先日、極めつけの文章に出くわしました! 企業秘密だから実文は紹介できませんが、まあこんな調子でした。

「前回会議提案事項具体的検討後採用決定」

あー、これじゃあ漢語を通りすぎて、中国語だ!

補習校(1) 2001/04/15

毎週土曜日は、補習校の日。子供たちは主に国語と算数を習っている。

カリフォルニアにいたときも、土曜の午前中は「日本語学校」に通っていた。補習校(文部省認定)もあるにはあったが、片道1時間余りの距離だったし、学費も高かったので断念した。

この手作りの日本語学校は、私たちが住んでいた隣町にあり、生徒のほとんどは1世、2世かハーフだった。クラスも2クラスだけで、5歳から8歳くらいまでと、8歳から17歳までが同じ教科書を使って一緒に勉強していた。入った当時は下が年長、上が3年生だったので、二人にはピッタリのレベルだった。しかし日本に住んだことのない生徒がほとんどのため、進み具合は遅く、2年間でようやく1学年分の教科書が終わった。

しかしこの学校に通っていなければ、もっと国語力が落ちていたに違いないし、先生方も限られた材料を使い、ボランティアのような状況で、熱心に教えてくださったととても感謝している。

オハイオでも補習校があることを聞いて、早速二人も入学させた。以来、我が家では金曜日を「魔の金曜日」と呼んでいる。 補習校の宿題をしなければならないからだ。 普段は現地校の宿題があるため、ほぼ手つかずで金曜を迎える。

子供たちだけで宿題ができるのなら、いいのだが、漢字は完全にアウトだし、算数の場合も文章題が読めない。読めても意味がわからない。(算数は当然、補習校のほうが進んでいる。) だから手取り足取り、つきっきり。

漢字練習帳などの場合は、罪悪感を感じて、「だめなんだよ…」と言う子供たちを尻目に、私は片っ端から答えを別紙に書いていく。
「いいの。自分で探してたら、今日中なんかには終わらないでしょ。とにかく、写しなさい。後で覚えればいいでしょ。」

しかし、到底あとで覚える時間などない。他にも教科書の本読み(たいていは3回)、読書感想文(ってことは、本も読まねばならない…たいていは、私が読んで、感想文だけ書いている…その感想文も、いちいち「どう思った? そうでしょ。 じゃあ、…・だから、…・でしたって書いとけば。 いいの、漢字じゃなくて。平かなでいいのよ! ってな調子。)

補習校に通う子供たちの多くは、日本語のほうが得意で、現地校の授業で苦労している分、この土曜の補習校を、「息抜き」、「オアシス」のように感じていると聞く。

うちの場合も下の娘は、日本人のお友達と会える補習校を楽しみにしている。しかし、上の娘は勉強も大変だし、せっかくの土曜日が潰れるので、気が重いようだ。

補習校(2) 2001/04/16

正直言って、土曜日の補習校は私も気が思い。 その理由は3つ。

まず、補習校は私たちの住む町から、車で40分(50キロ)ほどのところにある。朝9時に始まり、午後2時半に終わるから、この距離を2往復しなければならない。若しくはどこかで時間を潰さなければならない。 (でも、この距離で文句を言ってはならない。遠い人では、130キロのところから通ってきている人たちもいる。)

次に寝坊できないこと。日頃5時半起床の身としては、朝寝するのを楽しみにしているのだが、これがままならない。

そして3つ目は、お弁当。料理が嫌いな私にとって、お弁当ほど苦痛なものはない。アメリカに住んでいるんだから、アメリカ風ランチでいいや、と登校第1日目はサンドイッチをもたせた。(日本の3角形をしたサンドイッチを頭に描いてはいけません。単にパンを2枚合わせて、種類も当然1種類…ツナ&コーンか、ピーナツバター&ジェリーが私の十八番。) 

ところが帰宅した娘がのたまう。「サンドイッチなんて、わたしだけだったよー。みんな、日本のお弁当もってきてるんだよ。来週からは、いろんなおかずが入っている日本のご飯にしてね!」

かくして、翌日のお弁当のメニューまで考えることが加わって、金曜日には一層ブルーになる。

花金よ、いづこへ。

PS
こんな苦労しているのに、ある日、補習校の帰りに車の中で上の娘が言った。
「今日ね、先生がね、Nちゃんは自分でお弁当作ってるのって聞いたよ。」
…そ、そんな…そこまでお粗末…ってこと??



今日はイースター。それでイースターの前に金曜日はグッド・フライデーと呼ばれ、オハイオ州では祝日。(アメリカの祝日は州によって異なるが、ナショナル・ホリデーに認定されている1月1日と独立記念日の7月4日だけは、全米を通してお休み。)

私の有給は、2ヶ月働くと、1日もらえる。しかもその貴重な有給を、ほぼ例外無く子供の発病で使い果たしている身にとって、めったにない3連休に何もしないなんて手はない。

先週の土曜日から補習校の新学期が始まったばかりで、いきなり休ませるのも気が引けたが…。こんな機会はなかなか無いので、ちょっとミシガンにまで足を伸ばすことにした。

矯正  2001/04/17

アメリカの子供たちの何割くらいが歯並びの矯正をしているのか、正確な数字は分からないけど、私の感触としてはミドルクラスのは半数は、何らかの矯正治療をしていると思う。 (クラスで矯正している子と、離婚した両親をもつ子とどっちが多いかな? きっと後者の方が多い?)

我が家も例に漏れず、普通の歯医者にかかったら、「矯正歯科」に行けと言われた。二人とも私に似て歯並びが悪い。 私もサウジにいた時に歯医者に、「矯正したほうがいい」と言われ真剣に考えたが、駐在期間が残り1年を切っていたので、時間が足りずに断念した。

診察の結果、上の娘は、矯正をかけるための大人の歯がまだ生えていないために、今すぐには始められない。下の娘は、前歯が少し目立つ(つまり、出っ歯)上、そのすぐとなりの歯が噛み合わせると、下の歯の内側に入ってしまうくらいへっこんで生えている。

「これは割に簡単に治りますよ。上の歯だけの矯正だし、比較的短期間で、9ヶ月くらいですね」と言われた。 ぎりぎり、こっちに居る間に治せるかなと、矯正をすることにした。しかし、既にご存知のように、矯正が始められるまでに色々あって(虫歯の治療、抜歯、それに矯正をする隙間をつくるステップ)、しかもそれぞれの予約の間が1ヶ月近く空いてしまい(会社が終わってからの夕方の予約に固執するため)どんどん時間が過ぎてしまった。

いよいよ、明日矯正をつける。歯医者を初めて訪ねから早4ヶ月。

我が家の場合、問題は期間より金額だった。恐る恐る聞かされた金額は、思ったより安かった。上だけの9ヶ月間の矯正で、1180ドル。約12万円。 支払方法は3通り。 

1) 一括払い 
2) 最初の契約時に325ドル。 あとは1ヶ月ごとに95ドル x 9ヶ月間 (=1180ドル)。 (利子なし)
3) 月額56ドルでローンを組む (利子あり)

迷わず2番を選んだ。 (1番を選ぶ人はどんな人でしょう?)

普通の上下の矯正はいったい幾らかかるのでしょう? 聞いたところに寄れば、普通はだいたい2年間で3000ドルくらいだそう。 日本じゃ100万はすると聞いているから、3分の1。 しかも保険の種類によっては矯正もカバーするものもあるそう(私のはだめ)。 普通の家庭なら、必要あれば誰でも矯正するはず。

だから、アメリカでは歯並びを見れば、だいたいその家庭のレベルがわかってしまいます…。

PS
たった今、5年生の娘に聞いてみた。 
25人のクラスの中で、矯正をしているのは3人。 離婚した親を持つ子は、知っているだけで4人。
(5年生は矯正には少し早い年齢だということ、そして親しい子でなければ家庭の事情はわからないということを考えると、この二つの数字はまだまだ伸びそう。)

DARE 2001/04/23

去年の暮れあたりから週に一度、D.A.R.E. という名前の授業を、5年生の娘が学校で受けていた。
DAREはDrug(麻薬)Abuse(乱用)Resistance(対抗)Education(教育)の頭文字をとったもので、DARE(デア=「勇気を持って…する」という言葉とかけてある。この町だけのものかと思っていたら、全米規模のプログラムの模様。カリフォルニアでも5年生のお友達が受けていたと娘が言う。

警察主催のプログラムで、授業も地元の警察官が来て指導する。

先日、このDAREの授業が終了し、「卒業式」なるものが高校の体育館にておごそかに執り行なわれた。卒業式と言っても証書を受け取るわけではなく、各クラスがDAREで学んだことを寸劇に仕立てたり、歌を歌ったりする発表会だ。

式次第は次のようになっている:
1. カーリス警察官によるはじめの挨拶
2. 国旗に向かってアメリカ国民の誓い (これはいつのイベントにもつきもの)
3. 市長からの激励のことば
4. 「ロールモデル(=模範)」に指名された高校生3名からのことば
5. 各クラスの劇および歌 (全7クラス)
6. DAREエッセーコンテスト入賞者発表
7. シュレージ警察官による終わりの挨拶

夜7時に始まり、1時間半に及ぶプログラムの中で、「麻薬、タバコ、お酒」をテーマに繰り返し劇や歌が催された。

たとえば高校生の話は
「おい、君たち、5年生というのは、色々な誘惑が多くなる年だ。僕も5年生だったことがあるから知ってるよ。でも、絶対にそんな誘いに乗っちゃ行けない。誘いに乗るような奴は、実は少数派なんだ。だからNOというのを恐れる必要はないんだよ。」

「高校に入ったら、是非ともクラブ活動に参加してね。忙しくしていれば、誘惑も少ないし、タバコなんて吸ったら運動もできなくなるわ。スポーツは楽しいわよ。」

寸劇では、
A:「おい、ビール飲まないか?」
B:「いや、いいよ。」
全員:「私たちは今、誘いを断りました」

C:「マリファナ吸いに行こうぜ」
D:「それより、サッカーしようよ」
全員「話題を変えて対応しました」

E:「タバコ吸えよ」
F:無言でその場を立ち去る
全員:「その場を立ち去って対応しました」
(基本的な対応方法は全部で8つ。上記の「No thanksと言う」、「話題を変える」、「立ち去る」のほか、「人数的に優勢になって対処する」、「そうなる状況をさける」、「繰り返し断る」、「理由や言い訳をつけて断る」という方法を授業で習う。)

娘のクラスは、歌を歌ったのだが、その歌詞は:
…人は私に命令できない  決められるのは私だけ
…わなにはまってはいけない、愚かな人間になる必要は無い
…麻薬なんて使わない…

観ている親の中にはタバコを吸う人もいれば、お酒を飲む人もいるし、中には麻薬をする人もいるだろう。さぞや居心地が悪かろう…なんて思ったりしていた。

さて、すべてのプログラムが終了したのは8時半。ようやく、外に出る。

次から次へと人が流れ出てくる建物の出口付近で、一組の夫婦が、「あー、長かった。ヤニが切れてたぜ」と言わんばかりに、おもむろにタバコに火をつけると、大きく煙を吐き出した…。 見れば走り去る車の中には、くわえタバコでハンドルを握る親父も。 

あまりのミスマッチな光景に思わず「見て、見て! ほら、みんなタバコ吸ってるよ」なんて笑い転げてしまった。すると、むっとした表情で娘ににらまれた。

真剣に取り組んでいる子供たちの気持ちに水をさしてしまったことに気がついて反省。
(でも、やっぱり、思い出すと笑える。)

勝手ながら…  2001/05/01

5月8日、9日とカリフォルニアの学校に追試を受けに戻らねばなりません。
コースは終了して単位は取得しているのですが、特殊なシステムで最後の特別のテストに合格しなければ修士がもらえません。

お恥ずかしい話、あと2科目残っています。
テストが終わるまで、最後の追い込みで練習するので、来週の半ばまで勝手ながらお休みします。(既にここのところずっと休んでましたが)

7日(月)の午前11時にオハイオを出て、乗換え2回で目的地には4時半に着きます。帰りは時差(3時間)もあるし、乗り継ぎの関係(ワシントンDCで乗換え)で、水曜の夜8時半にカリフォルニアを出て、オハイオ着は木曜の朝8時半。カリフォルニアは遠い。

合わせてたった1時間の試験のために、4日も費やすことに(火曜の9時半から30分と水曜の3時半から30分)。その間子供はそれぞれのお友達に家に預けて行きます。

では、私の成功を祈ってください。

ただいま  2001/05/14

タイプする指が重い…まだ正式な結果発表にはなっていないけれど、今度こそ!の思いで臨んだ追試だったのに、うまくできなかったら、また夏に遠くカリフォルニアにまで足を運ばねばならないことになりそう。(追試は1年に2回。5月と8月に行われます)

さて、少し前に今年の秋に帰国と書きましたが、状況が変わり、もう少し長くアメリカにとどまることになりました。契約を延長することになったので、一番早くて帰国は来年の9月です。ということで、このコーナーももう少し長く続きそうです。

昨日、庭に花を植えました。小さな庭だからそれほどたくさん植えられないのですが、春(夏?)がきたのが嬉しくて柄にも無く園芸作業などしてしまいました。

3月一杯は最低気温が零下の日が多く、春はいつ来るのだろうと思っていたら、4月に入ったとたん急に30度の日がやってきた。春を飛び越して一挙に夏になってしまった。コートを羽織っていた毎日から、突如として半パン・Tシャツの日々へ。そんな日が2、3日続いたかと思うと、翌日は雪。するとまた1週間も経たないうちに30度の日がやってくる。こんなことを繰り返しているうちに5月になった。

気がつくと木々は青々と葉をつけ、花が咲き、芝が生い茂ってすっかり初夏の趣です。

園芸用の土、スコップ、苗などを買いに出かけたら、やはりみんな考えることは同じ。どこの園芸コーナーもすごい人出。スーパーの駐車場にも臨時園芸コーナーが特設されていて、どの人も苗や土を抱えて帰っていきます。

オハイオの冬は厳しいので、どうやら庭の草花は冬場には完全に枯れてしまうのでしょう。春になるとみんな新たに草花を植えるから、あんなに園芸コーナーがにぎわっているのかな。

私が植えたのは、ゼラニウム、ペチュニア、インペーシャンス。日本の実家でゼラニウムは一年中外にほっぽり出していてずーっと元気だったけど。オハイオの冬は越せないのか、見てみましょう。

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自己紹介

2010年8月にコネチカット州よりノースカロライナ州へ移住。移住後の生活をブログにて報告します。