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英語と日本語について (1) 2001/03/30

今日は日本語と英語の違いについて。
これは私の発見でも何でもなく、英語に触れる機会のある人なら感じていることと思いますが、そういう機会のない方のために、通訳という職業柄、しばしば悩まされていることについてお話します。

どちらも文法に関連することなのですが、一番の違いは英語では主語のあとにすぐ動詞がやってくるのに対して、日本語の場合は最後に出てくるということ。 二つ目の大きな違いは、英語の場合はきちんとした文の構成、つまり主語+動詞+補語、あるいは主語+動詞+目的語 (学校時代を思い出すでしょう?)という造りがあるにもかかわらず、日本語は主語や目的語がなくても平気で文章になっています。

この二つが通訳の泣き所です。

ちなみに通訳の方法には大きく分けて二種類、逐次通訳と同時通訳というのがあります。読んで字のごとく、前者はしばらく聞いてから、一旦話し手に話すのを止めてもらい通訳をする方法。もうひとつは話し手が話す傍らで、聞きながら同時に訳していく方法。

逐次と同時では、一見同時通訳のほうが難しいように思えますが、実はどちらも違う意味での難しさがあります。

逐次の場合は、上に書いた文法的な違いに悩まされることはあまりないのですが、言われたことを一言一句そっくりそのまま訳すより、内容がわかりやすいようにまとめるテクニックが必要です。そのためには内容を十分に理解している必要があります。また少し時間をおいて訳すために、記憶力も大切です。聞いているときはわかったような気がしているのに、いざ訳そうとすると頭の中が空っぽなんてことも多いのです。特に何の予備知識もない場合はなおさらです。知っている話だとある程度想像もついて、とんでもないミスはおかさないものだけど、まったく知らない話だと、聞いていても何の話だかまったく分からず、メモを見ても思い出せず、平気でまったく逆のことを言ってしまうことも。

同時通訳の場合は、記憶している時間は短くて済むのですが、瞬時に言葉を置き換えなければなりません。また、聞きながら話すという「離れ業」もこなさなければなりません。

さて、私の職場ではほとんどの場合が同時通訳です。同時通訳でも国際会議のように通訳ブースに入って訳すのではなく、ウィスパリングと呼ばれる方法で、「お客さん」の耳元でささやく、あるいはマイク(発信機)を使って「お客」さんにはイヤホーンをつけて聞いてもらいます。

それで常にこの日本語と英語の文法の差に悩まされるのです。 たとえば日本語から英語の場合だと、動詞がなかなか出てこないものだから、適当に先に当たりをつけて動詞を言うんだけれど、時々「読み」が外れてしまうことがあります。

たとえば、
「私は、京都で桂川の橋の近くで写真を撮ったら…」なんて文章を言われると、ここまで聞いて、たいていは「…だった」という過去の文章が続くと思うでしょう。だから恐らく 「京都で、桂川の橋の近くで、私が写真を撮ったとき」なんて言ってしまうんですよね。ところが、「…どんなにきれいな写真が取れるだろうと思う。」なんて言う仮定の文章が続いたりすると困っちゃうのです。

逆に英語から日本語の場合は、動詞が早く出てきてしまうものだから、それを覚えて文章の最後に言わなければなりません。でも間の部分が長いと忘れてしまうのです。

たとえば、「私は本日メディアに発表になりましたプロジェクトを必ずや成功に導くことを皆さんにお約束します」という文書があったとします。英語の場合は「私はみなさんにお約束します」という部分が先になるので、「みなさんにお約束します」を頭の片隅においておいて、「本日発表になりました云々…」と訳すのですが、言っているうちに、動詞が何だったか忘れてしまうことがよくあります。(自慢してどうする) 

そいうときは、すぐに「…ということです」と訳もなく付けたくなっちゃうのです。得意なのはコレともうひとつ「…が重要です」。つまりこの場合なら「…導くということです」とか「導くことが重要です」ってな具合。まるっきり外れてもいないけど、なんだか釈然としないのです。でも忘れたからといって途中で黙ってしまう訳にも行かず、苦肉の策ということです…。(ああ、また言ってしまった。)

そして、文法がファジーな日本語から英語に訳すときに困るのが、不必要な文章がだらだら続いて、しかも文の途中で方向が変わったり、別の文章が入って来たりするとこ。

「えー、繰り返しにはなりますが、このまえの会議でもありましたように、そして皆さんもすでにご承知であります、以前から懸案になっております○○の件でございますが、まあ、言ってみれば、それほどね、何て言いますのか、複雑…というほどのものでも、まあ、複雑と言えば複雑と言えないこともないんですけど、そう言ってしまうともともこも無いといいますか、××さんからも先ほどご指摘がありましたし、ここいらで一旦きちんと、決着っていうんですかねえ、そう言ってしまっていいと思うんですが、まあ、解決に向けてですね…」 
おーい、どこまで続くんだよー。 

加えて究極的に困るのは、「こそあど」言葉と「擬態語、擬声語」が多くて何を言わんとしているか検討もつかないとき。

「実はね、例のあれ、そうなのよ。 あれゴロッってなったもんだから、こっちのこれがさ、ポロでしょ。だめ、だめ。あれじゃあ、全然。元のあっちのほうがまだいいわ。だからさ、ここんところを、こうして、クルリンってやれば、ここがグググってなって、カチって行くから、そのときにあっちのこうなっているところをプスってやって…」

これは極端な例だけど、結構この手の話し方が多いのです。ご本人は実際の場面をみているから頭に絵が浮かぶのでしょうが、見たことも聞いたこともない通訳は頭にイメージも浮かばず本当に困ってしまうのです。こういうのはお手上げ。

もひとつおまけに困るのは、日本人は何でもかんでも省略してしまうこと。省略語として市民権を得ている言葉なら許すんだけど、中には好き勝手に省略して「内輪」だけでしかわからない言葉も多いのです。
「ゲンポー」なら「現地法人」の略として結構使われる言葉だけれど、「ゲンチョー」って分かります? (現地調達)
「ファミ・レス」なら今では一般に使われている(と私は思っている)けれど、「カフェテリ」が「カフェテリア」だとすぐに耳で聞いてわかるかなあ。(大体、略してるのは「ア」だけなんだから、どうしてその一音を言う努力を惜しむかなあ)。これをもともと耳慣れない会社の名前で省略なんかされちゃったりすると、もう「???」の世界。(たとえば「安藤テクノロジー」なら「アンテク」となり、その言葉が英語なのか日本語なのかすら、もはや区別がつきません。)

なんか随分と脱線して、たんなる愚痴になってきたので、今日のところは一旦これでおしまい。

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自己紹介

2010年8月にコネチカット州よりノースカロライナ州へ移住。移住後の生活をブログにて報告します。