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その2   2001/01/31

今回は予告通り私と家族についてのお話を少し。

98年7月末、カリフォルニアの大学院で通訳・翻訳の勉強をするため、夫をひとり日本に残し、当時6歳と8歳の娘2人を伴ってに渡米。「今更その歳で学んでも…」という意見もありました。「それだけのお金とエネルギーを注ぐ意義があるか」と自分でも随分迷いましたが、その時考えたのが、コレ。
「やらずに後悔するか、やって後悔するか」 
そうするとやっぱり、やって後悔したほうが、やらずに悔いるよりいいなあと。歳も歳だから、これ逃すと次はないとも思ったし。

「よくご主人がうんって言ってくれたねえ」としょっちゅう言われます。 この点は、本当に理解ある夫で、彼を納得させるのは実際、それほど難しくはなかったのです。 
「子供のことは、心配じゃなかったの」とも質問されるけれど、この点に関しても、うちの場合はとてもやり易い環境にありました。丁度その前年、3年半におよんだ中東での海外駐在(夫の仕事)から戻ったばかり。子供達はアメリカンスクールに通っていたから、英語にはあまり問題がなかった。 そもそも夫の出張が多いことから、離れていることにはお互いかなり免疫がある。 
そこで一番ネックになったのが金銭的な問題。大学院の学費がかなり高額だったから。そこで、申し込んだ奨学金が得られたら、そして2年後には必ず帰国するという条件付きで夫の承諾を得たわけです。

去年5月、無事コースを終了し、本来なら即刻帰国のはずだった。だけど、私の目指す通訳という稼業は、特に日本では「学歴」より「経験」。 実際、場数を踏まずに上達は有り得ないということは、この2年間を通して私にもよくよくわかった。 要は、「習うより慣れろ」の世界で、学校を出ただけで簡単に仕事が見つからないことは、先輩の卒業生などからも聞いていた。 

アメリカにはわが校の日本語コース卒業者を毎年数人採用している日系企業があった。私は何よりも履歴書に「経験」の2文字を刻みたかった。そこで、またしても夫を拝み倒して、「あと1年だけ」と言う約束をとりつけたのです。運よく採用となり、今日に至っております。
 
「どうやらアメリカに住みつくつもりらしい」
「とうとう、離婚…?」
なんていう噂も出たりしているようですが、今年の8月の雇用契約満了をもって、ちゃんと日本に戻ります。

というわけで去年8月にオハイオ州に越してきました。
(その1)の話に戻るけど、ようく調べて見ると、中西部でイースタンの時間帯に属す州は、唯一オハイオだけだとうことが判明。お隣のインディアナも中西部の州で今はイースタン時間だけど、ここは特殊で夏はセントラルの時間帯となる。つまり、いわゆる「夏時間」を使用していないの。(注:2006年からインディアナも夏時間の使用を開始。)

アメリカには「夏時間」を使用していない、言いかえれば1年を通して時間が変わることのない州は他にもう一つ、アリゾナ州がある。(ここは私が高校時代に1年間留学していた「第2の故郷」です。) 双方ともあえて時間を変更して「日の光を惜しむ必要がない」って訳。アリゾナは灼熱だから簡単に想像がつくでしょう。インディアナの場合はイースタンでいけば西の端。夏時間で1時間早めると、朝の暗い時間が長くなり、夜はなかなか日が沈まない理由から。

さて、このコーナーでは、私達の生活を通して、皆さんが興味を持ちそうなことをお話していこうと思っています。質問も歓迎致します。全ての質問には答えられないでしょうが、私が皆さんの質問の中から、答えられる範囲で、面白そうな内容をピックアップしてカバーして行こうと思っています。

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自己紹介

2010年8月にコネチカット州よりノースカロライナ州へ移住。移住後の生活をブログにて報告します。