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学校と親 (1) 2001/02/14

サウジアラビアにいた時は暇を持て余していたので、定期的に学校にボランティアに通っていた。 だが、カリフォルニアの時は自分の学校、今は仕事で時間がないので、子供の学校のお手伝いをする機会がなくなってしまった。一度、子供の遠足に付き添ったくらいかなあ。

日本に帰れば、働いていようが、いなかろうが、容赦なく「お当番」で学校の係りが回ってくるらしい。娘達が日本の学校に通ったのは1年だけで、役員などもしたことがないから、わたしの認識が誤っていたら、正してください。

兼ねてから思っていたのは、日本の学校は親の使い方が下手だということ。そして都合よく使いすぎている(と書けば上手に使っているわけで、矛盾するようだが)。

日本の学校で親に「押し付けられる」さまざまな係りを思い出すと、どれも直接授業やクラス活動に関係するものではない。親は学校には出掛けて行くが、教室に足を踏み入れることなく、別室で何やら活動をするようだ。

一方、アメリカの学校でボランティアをする人は、まず、母親に限らない。父親の場合も多いし、おじいちゃん、おばあちゃん、近所の人なども含まれる。そしてその内容はどれも教室と直に結びついている。

例えば、授業で遅れている子供の勉強を見てやる(たいていの場合は廊下にある机に並んで腰掛けて、一緒に読んだり、算数の問題を解いたり)。 クラスの授業で使う小道具を作る(これは別室で母親が集まって作ったりすることも)。 遠足や課外授業の引率(運転手)。 イベント(パーティー、子供のためのお店、バザーなど)のお手伝い。 自分の特技を紹介する(本を読んでやる、自分の仕事や出身地を紹介)など。

(実はサウジアラビアから帰国したときに、先生から「サウジアラビアのお話をして下さい」と娘か私に声がかかるのを心待ちにしていたのだが、とうとうそういう機会はなかった。なんだか自分からも言い出しにくい雰囲気だった。)

もちろんPTAの役員だってちゃんといる。やりたい人はいるもので、積極的にいろいろな活動をしている。日本の押しつけからは出て来ない「意欲」がそこにはある - 子供がもらってくるPTAの手紙を見れば、その人達の活動に対する意欲が感じられるのだ。

ボランティアは、先生やクラスのことを良く知り、同時に我が子の学校での姿をしっかりと観察できるチャンスでもある。だからこそボランティアをしよういう気持ちが湧くのである。

勿論、先生にとっては、決して都合のいいことばかりではない。常に監視の目があるわけだから、手も抜けないし、めったなこともできない。 

是非、日本の保護者の活動も、保護者にもっと自主性を与え、授業と直接関わりのあることを先生方と協力してやっていけるようにしてほしい。そうすれば、もっと学校と関わりを持ちたいと思う人がでてくるはず。また、保護者の活動内容や時間にも、もっと柔軟性を持たせ、できる人ができる時にという形も導入すべきだ。

いまのお母さん達は、いはば上手く「雑用係」に使われているだけ。つまり学校側の使い方が下手なのだ。

貴重な人材を活かさない手はない。

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自己紹介

2010年8月にコネチカット州よりノースカロライナ州へ移住。移住後の生活をブログにて報告します。