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学校格差 2001/02/18

ある読者のコメント。

「アメリカの学校って、やっぱものすごく自由な感じがする。…いいことばっかじゃないだろうけど(完璧なら銃乱射事件なんて起こらないよね)。」

自由と言う言葉がちょっと気になったけど(自由と言うより、「柔軟」だと思う)、私も日本と比べてアメリカの方が全て優れているなどと言う積もりはさらさらない。どちらも一長一短。

先の大統領戦でも教育は両候補者が多いに語るところだった。改善の余地が多いからだ。勿論、今回の選挙では経済が落ち着いていて(選挙中は)あまり取り上げるところがなかったから、その分福祉や教育に焦点が注がれたと言うことは否めないけど。

「○○小学校では、学校の窓ガラスが割れたまま。机や椅子もひどい状態で、こんな環境では子供たちは勉強することができません。」と語る政治家。 先日は「××市では、スクールバスが廃止になりました。市の予算が悪化したため。」という報道(これは後日「住民投票」の結果、復活。) ある町では市会議員の使いこみのしわ寄せで、学校予算が大幅カット。こんなニュースをちょくちょく耳にする。

アメリカの公立学校は連邦政府(=国)ではなく、各市町村に運営がまかされている。だからその財源となるのは、「州」や「連邦」税ではなく「市」の税金だ。

これが結果として学校の格差を広げる要因となっている。つまり金持ちが多く住み潤沢な「住民税」が入る町、企業からの税収の多い町などは、当然学校に割り当てられる予算も多い。一方、貧民層が多い地域では状況は全く逆だ。子供たちを良い学校にやりたければ、引っ越すか私学に通わせるしかない。良い地域に住むためには、当然高い家賃を払わなければならない。多くの場合は、私学に通わせる方が手っ取り早い。

こうして、さらに学校格差は広がって行く。

それに追い討ちをかけるのが先生の層である。公立学校の先生は「市」単位で雇用される。誰だって、「給料の安い荒れた学校」よりは、「高給で設備の整った明るい学校」で教えたいはず。

カリフォルニアで私達が住んでいたのはモントレー半島にあるパシフィックグローブという町。小ぢんまりとした町だがビクトリア調の古い家が立ち並ぶ美しいところだった。モントレー半島にはこのほか隣接した3つの町がある。モントレー、ぺブルビーチ、カーメル。モントレーは半島の名前とともに、観光地として特に知られている。ぺブルビーチには先日マスターズが行われた有名なゴルフ場があり、カーメルは中でも一番の高級住宅地でクリント・イーストウッドが市長を務めたこともある。

私が子連れ留学をすんなり許されたのも、このように私の学校が「裕福な」治安の良い場所にあったからでもある。当然、子供たちが通った小学校も評判がとても良かった。

そして去年の9月のこと。学校が始まる前日、クラス発表の張り紙を学校に見に行った。上の娘のクラスの担任蘭は「未定」となっている。どうしたものかと思っていたら、翌日にはちゃんと新しい担任が来ていたそう。後で先生に話を聞けば、「希望は出していたんですけれど、急に空きがでたらしく、ぎりぎりで雇用が決ったんです。」

彼女は、ヒスパニックの多い別の町の学校で教えることが決っていたのを、急遽「蹴って」娘の小学校へ来た。

この調子で、地域によっては先生が集まらず、挙句の果てに「免許のない」人を穴埋めに雇っているといった場合もあると聞く。

この状況をいかに改善するか。そこで今、ちょくちょく政治家の口に上る言葉が「バウチャー」制に「チャータースクール」。どちらも公立学校に「見切りをつけた」保守派の共和党(=ブッシュの政党)に主に支持されている。

長くなるので、この2つの内容は次回。

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自己紹介

2010年8月にコネチカット州よりノースカロライナ州へ移住。移住後の生活をブログにて報告します。