母子3人でアメリカに渡ってそろそろ3年が過ぎようとしている。
サウジアラビアから帰国後の1年間、たいまいをはたいて千葉は稲毛で駅前留学させていた(NOVAじゃなかったけど)上の娘(当時3年生)は、何とか英語を維持していた。だからいきなりアメリカに来ても言葉では不自由しなかった。
1年生だったの下の娘。二人分の駅前留学費用はなかった。すると1年間でみごとに英語を忘れた。聞くほうはまだ大丈夫だったようだけど、話すほうは全然だめで、7月の末にカリフォルニアにやって来てから学校が始まるまでの1ヶ月間、近所の子供たちと遊ぶのにもっぱらお姉ちゃんに代弁・通訳させていた。
それが半年も経たないうちに、みるみる英語が上達した。と、同時にみるみる日本語が衰えていった。
今では注意しない限りは、二人とも日常会話のほとんどは英語。二人の間は勿論英語。私にも英語で話しかけてくる。そして私は大阪弁で答えている…。
たとえばある日のスーパーでの会話:
娘「ぺら、ぺらぺら、ぺらぺーら」
私「あかん、何ゆーてんの」
娘「バット、マミー、ぺらぺらぺらーぺら」
私「そんなしょーもないもん、要らん。」
娘「オー、ぺらぺら。ぺららー!」
私「ええから、先に要るもん探し!」
この奇妙なやり取りは、さすがに現地の人の「耳」にも止まるらしく、ときどき視線を感じたりする…。
そこで、「日本語強化週間」なるものを打ち出し、家庭での会話は極力日本語にしようと努力を始めた。英語で話そうとすると「ほれ、ほれ、日本語」と催促するのだ。
しかし頭の構文が英語になっているので、いろんな珍文が飛び出す。
「何で、また着換えるん?」
「だって、このTシャツ、パンツと行かないんだもん。」
「行かへん? Tシャツが行きたくないーって叫んでるん?」
「…えっとー、あのー…マッチしないんだもん…」
(go with = 合う)
「ママ-、 コンピューターに乗っていい?」
「乗るう? やめて、あんたみたいな重い人乗ったら壊れるから。」
「あのー、あのー、コンピューター…やっていい?」
(get on the computer =コンピューターを使う)
「痛いよ-!」
「どないしたん?」
「走ってて、落ちてしまったの…」
(fall = こける)
「今日は算数の試験を取ったよ」
「返しときや」
(take a test = 試験を受ける)
「あ、また薬取るの忘れた…」
「あんたはドロボーか」
(take medicine = 薬を飲む)
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自己紹介
- Jodako
- 2010年8月にコネチカット州よりノースカロライナ州へ移住。移住後の生活をブログにて報告します。
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