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沈黙をやぶって…  2001/09/23

いろいろな思いが交差してなかなか文章を書く気にはなれなかった。
日本の読者の一部から批判を浴びた件に関しては、よくよく視点のギャップを感じずにはいられない。このギャップはおいそれと埋めることはできないであろう。

読み手の受け取り方をいちいち気にかけていては、自分の思うことは書けない、かといって全く無視するわけにも行かない。書くべきか書かざるべきか…。

という考えにふけっていたところに「ニムダ」ウィルス騒ぎ。コンピュータを使うのを避けていたが、とうとうマイクロソフト・ドットコムから防止用のソフトをダウンロード(本当に役に立つのか? 場所を取るだけじゃないんだろうね。)おまけに仕事が忙しく残業続きで時間も無かったというのが沈黙の理由。

ニムダに関しては、日本でも騒ぎになった模様。(nimdaを逆に読むとadminとなるが、これはアドミニストレーション(管理)の略。管理プログラムに危害を与えるウィルス?)ウィルスはサイバーテロだ。「過激」な私としての願望は、ファイヤーウォールのように侵入を防ぐ生ぬるい手段ではなく、コンピューターにウィルスを仕掛けようとした相手に数倍のパワーでバックファイヤーするような徹底的反撃ソフトってのを考えて欲しいな。

さて、当初は私をがっかりさせた子供たちの反応だったが、毎日ニュースでの報道を聞くにつれ次第に受け取り方が変わって来た。そう言う意味でいかに正しい情報、教育が子供にとって重要かということを再認識させられた。

先日「何故、ビンラディンはアメリカを嫌うの?」と聞いてきた。
きっと誰もが感じる普通の疑問だろう。こういう疑問が子供の中から自然に湧いてきたのは私としてはとても嬉しかった。これまでの歴史や地理を教える絶好の機会。興味を持って初めて知識として蓄えることができるから。

今回の事件はこれまでの長い歴史を紐解かずには語れない。もちろんこの歴史がこの事件を正当化することは決して無いが、それを知らずには事件もただの狂信者が血迷って起こしたことと片付けられ、将来の同様の事件を防止する手立てにはならないだろう。

私も、今になってようやく一般の人よりは多少イスラムやアラブに対して多くの知識を持つに至ったが、これは8年前に駐在員の家族として初めてサウジアラビアに住むという機会に恵まれたから。しかし当時の私は一般知識すら持たない、本当の無知だった。赴任に先駆けてまともな人なら、自分が暮らすであろう地域について多少勉強していこうと考えるものだが、何故かそいうう常識的な発想が私には欠落していた。

だから93年の9月、初めてリヤドの空港に降り立った私は目の前の光景に息をのんだ。

サウジアラビアはメッカとメジナの二つの聖地を持つ王国。国教であるワッハーブ派イスラム教は特に戒律が厳しい。しかも首都リヤドは、サウジアラビアの中でももっとも厳格な町であった。

夫が私のために持ち帰っていた黒いアバヤ(長袖で足首まで丈のある薄手のコートのようなもの)から、女性はこの黒装束に身を固めなければならないのはわかっていたが、頭の先から脚の先まで全て覆われている女性たちをみて絶句したのだ。手には黒い手袋、足には厚手の黒いタイツ、顔には黒いフェースカバー…ひとかけらの皮膚も見えてはいなかった。しかも9月の日中の気温は45度はあるだろう。

リヤドでの私たち外国人の生活は、地域の人々からは全く隔離されたものだった。私たちの住居はコンパウンドと呼ばれる壁に囲まれた居住区。コンパウンドはその規模・レベルによって戸数、中に住む人々の層(サウジアラビアほど「階層」を意識させられるところも少ない)、施設の充実度は違っていたが、たいていの日本人は西洋人が主体のそこそこのレベルのところに住んでいた。私達がいたのは300戸ほどある比較的大規模なもの。中にはプール、レストラン、ジム、テニスコート、ミニ・スーパーなどがそろっていた。

こうした壁の中での生活は故郷でのそれと、さほど変わらない。ショートパンツをはき、プールで泳ぎ、男女が一緒に歓談できた。しかし一歩外に出ると、そこは別世界。外国人であろうともアバヤに身を包み、黒のスカーフで髪を覆う。12歳くらいであれば子供であろうと同じこと。また家族以外の男性と一緒にいることもできない。(運転手は別。)もちろん女性の運転は禁止されている。

動物園は男女で入園日が異なり、遊園地に至っては、うりふたつの同じ施設が隣同士に立ち並び、男性用、女性用に分かれている。レストランは男性セクションとファミリーセクションに分かれ、家族連れの男性のみファミリーセクションへ入ることが許される。女性だけのグループの外出も見つかると何かとうるさい。

マクドナルドのファミリーセクションの中はテーブルごとに小部屋になっており、カーテンを閉じることができる。こうすればよその男性の目を気にせず、フェイスマスクを揚げて、堂々とハンバーガーをほうばることができるからだ。が、中にはカーテンは閉じず、一口ごとに鼻の辺りまでマスクを持ち上げ、バーガーをかじっている女性もいた。

フェイスマスクの上から眼鏡をかけているひと、薄暗いショッピングモールのショーウィンドウのガラスに、黒いガーゼのフェイスマスクでは良く見えなかったのか、もろにぶち当たる女性…。

モールや市場など、人の集まる場所にはムタワと呼ばれる宗教警察が鞭を持って歩き回っている。私は「髪の毛が見えている、スカーフで隠せ!」という意味のことをアラビア語でまくし立てられたことがある。他には「口紅が濃い、ふき取れ」といわれたり、連れ立って歩いている相手が家族かどうか、身分証明の提示を求められたりする。満足の行く説明ができないと、しょっ引かれる。しかしこうした不幸な例は、日本人や西洋人にはほとんど無く、出稼ぎのフィリピン人、マレーシア人などに多い。単身女性の出稼ぎが多いからだ。男性の単身出稼ぎはイエメン、フィリピン、パキスタン、エジプト、スーダンからが多い。

しばらくこういう生活が続くとどうしても本当の生活が垣間見たくなる。
しかしながらそんなチャンスは皆無と言って良い。自由に移動できないし、いくら買い物に出かけたときにサウジの女性を見かけるといっても、頭の先から足先まで包まれた女性に話しかける機会などない。

機会がないと分かって、初めて書物を通してアラブやイスラムの生活を知ろうとした。ちょうどこの頃「プリンセス」(日本での題名は「プリンセス・スータナ」)というサウジアラビアでは禁じられていた本のコピーが仲間の間で出回った。あまりにショッキングな内容に私のアラブへの興味は一掃かき立てられた。

ラディンの行為の一部として報じられているサウジアラビア、アルコバールでのアメリカ軍施設の爆破事件は私達がリヤドにいたときに起きた。これに先立つリヤドのサウジ軍施設(アメリカ軍とも関連有り)での爆破事件の際は、娘と同じアメリカンスクールに通う子供の親が数人犠牲者となった。この事件は直接ラディンとの結びつきは決定づけられていないが、無関係なはずはない。

私のアラブへの気持ちは、しかしながらネガティブなものではなく、どちらかと言えばポジティブなものである。とうとうサウジ人の友達はできなかったが(唯一アメリカ人と結婚しているナズマを除いて。サウジ女性の外国人との結婚は基本的に禁じられている。彼女の場合は権力のある家庭ゆえの例外。)リヤドで知合った信心深いムスリムを通して、イスラムに対しては好意的な思いがある。またナズマと話をしていて感じたのは同じアジア人としての親近感である。

イスラム信仰には、しかし、それを信仰する部族の伝統と切っても切れないものがある。マホメッド(モハメッド、ムハンマドなどいろいろな呼び方があるが、これはアラビア語が子音表記のために、発音の仕方に地域差がでるもの)がコーランを書いたひとつの目的は、こうした悪習を制限することもあったとされている。

それまで何の権限をも持ち得なかった女性に、コーランは権利を与えたのである。女性に相続権が認められ、またそれまでは全く認められなかった女性からの離婚も制約付きではあるが認められている。夫が持つ妻の数も、それまでの無制限から4人へと制限された。しかも全員を平等に扱うという条件付である。

コーランが書かれた時代背景を理解しなければ本当の意味は理解できないと思う。そして付け加えるならば、現代にコーランを解釈するに当たって、文字通りの意味を当てはめるのではなく、その文字の裏にある考えを汲むべきであるというのが非ムスリムである私の意見だ。

聖書にしても同じことである。旧約聖書にはかなり血なまぐさいこともたくさんかいてある。全てを間に受けていては混沌とするばかりである。

しかしムスリムの一部には、イスラムと土着の因習をいっしょくたにしているものが少なくない。タリバンはその顕著な例と言ってもいい。そしてもっとひどいのは、イスラムを利用して政治的権力を狙う者だ。それがラディンであり、フセインである。

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2010年8月にコネチカット州よりノースカロライナ州へ移住。移住後の生活をブログにて報告します。