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私たちの住む町  2002/03/17

私達の住む町の人口は2万人。 この辺りでは、多くの日本の町のように隣の町と隣接しているのではなく、車で町を離れると次の町までは、林や畑、だだっ広い土地が続き、しばらくすると隣町が現れる。

こうした幾つかの町(村)とその間にある「田舎」を合わせて、ひとつの郡(カウンティー)が形成されている。郡には必ずひとつ裁判所(コートハウス)があり、裁判所のある町がその郡を代表する町である。規模も一番大きい。

私達の住む町にはその裁判所がある。つまりこの郡の筆頭の町なのだ。だから人口2万人というのが、このあたりじゃあ、まあまあの規模だと言うことがおわかりでしょう。

しかし電車で神戸へ12分、大阪へ16分という都会で育った私には、ここは「ど」のつく田舎。なのに、なのにそれなのに、地元の人達はシドニーを「大きな町」と呼び、口をそろえて、「あんな大きな町はいやだ。隣の家が見えるところなんて」と言い、田舎に住むことを好む人が多い。

私の真後ろに座るデブは、4人の小さな子供の母親である。(デブって名前。太ってるからそう書いたわけじゃないです。)
「シドニーみたいな大きな町には住むのは絶対いや。村なら、子供たちが遊んでいる相手も親もみんなわかるもん。」
自分たちもそう言う小さな町で育ち、自分たちのやっていることは、よその親や親戚の口伝で瞬く間に自分の親の耳に入る。彼女が中学生、姉が高校生だったある時のこと、親達はこぞってパーティーにでかけた。親が出た直後に、近所の子供達が集まってパーティーを始めた。ところが1時間もしないうちに親が舞い戻ってきたのだ。どこからか、話が漏れたらしい。彼女はこんな環境を「理想的な子育ての環境」と呼ぶ。

確かに、それも一理あるだろう。とくに子供達の間での麻薬や、誘拐などが現実問題として起こるこの地においては。(この郡ではまれだが、一つ南の郡、そして更に南のデイトン界隈で起きた殺人事件や強盗事件が毎朝ニュースで報道されている。)

こうして、きっと彼女の子供達も、その子供達も親兄弟から遠くに離れず、一生この辺りに留まるのだろう。実際、私の工場で働く人のほとんどは、代々(と言っても歴史が浅いから3~4代くらい)この近くに住んでいるか、遠くても州内か近隣の州までの出身で、どこかしら近くに一族郎党がいるのだ。

家族は一緒であるもの(私だってそれが一番とは思っているが)と信じる彼らにとって、単身赴任でアメリカにやって来て5年も8年も家族と離れて暮らす駐在員のオジさんたちや、夫を独り日本に残している私は、かなり異質の存在であるようだ。

わが町のサイトを見つけた。裁判所の周辺と裁判所の写真があります。
http://www.sidneyoh.com

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自己紹介

2010年8月にコネチカット州よりノースカロライナ州へ移住。移住後の生活をブログにて報告します。